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大阪高等裁判所 昭和62年(う)117号〔1〕 判決

本店所在地

大阪府寝屋川市東大利町二番一九号

泰斗興産株式会社

右代表者代表取締役

木下龍元こと朴龍元

国籍

韓国(慶尚北道清道郡角南面新堂洞二六三)

住居

大阪府寝屋川市東大利町二番一九号

会社役員

金城泰二こと金守

一九四〇年七月一〇日生

右泰斗興産株式会社に対する法人税法違反、金守に対する法人税法違反、所得税法違反各被告事件について、昭和六一年一二月一七日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告法人泰斗興産株式会社及び被告人金守から各控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 藤野千代麿 出席

主文

被告法人泰斗興産株式会社の本件控訴を棄却する。

原判決中被告人金守に関する部分を破棄する。

被告人金守を懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に処する。

被告人金守において、その罰金を完納することができないときは、金四〇万円を一日に換算した期間被告人金守を労役場に留置する。

被告人に金守に対し、この裁判確定の日から四年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人福島清に関する分の二分の一を被告法人泰斗興産株式会社の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人長谷部成仁(主任)、同白井美則、同加藤保夫共同作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官大口善照作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、被告法人泰斗興産株式会社に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人金守(以下被告人という。)及び当審における分離前の相被告人で実弟の金泰奉が共謀のうえ、右両名が役員に就任していたパチンコ店営業等を目的とする被告法人泰斗興産株式会社(以下被告法人という。)の業務に関し、法人税を免れようと企て、被告法人の昭和五六事業年度(昭和五六年四月一日から同五七年三月三一日までの一年間。以下事業年度の開始、終了月日は同一。)ないし昭和五八事業年度の三事業年度間に、合計九億四六八八万一四一二円の所得があったにもかかわらず、合計一億八四八五万六五六九円の所得しかなかった旨、虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって正規の税額との差額合計三億二〇〇五万五〇〇円の法人税をほ脱したとの事実を認定したが、被告法人の右所得に関しては、原判決が認定した費目以外に認容すべき経費があり、従って原判決の右法人税額計算の前提事実には事実誤認があり、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

しかしながら、弁護人らは、当審の審理を通じ一貫して、右論旨をさらに具体化し、認定漏れの経費について、その費目、根拠、額を明確に主張することができなかったうえ、所論にかんがみ、当裁判所において記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討しても、原判決に所論の所得金額の認定に関し必要な経費の控除を怠ったり、その額を過少に計算した等前提事実に関する事実誤認は全く認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意中、被告人の所得税法違反に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、個人名義でパチンコ店二店舗を経営する等して所得を得ている被告人が前記金泰奉と共謀のうえ、昭和五六年ないし昭和五八年の三年間の所得が合計六億四七五五万三〇四三円あったのに、合計一億九三七〇万三八八二円の所得しかなかったように虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって正規の税額との差額合計三億三四四〇万二八〇〇円の所得税を免れた、との事実を認定したが、右二店舗の営業名義はなるほど被告人となっているものの、その実質は、同人の親族である末弟金泰源及び妹婿木原真一らを中心とする親族との共同経営であって、その事業収益も親族のために用いられ、被告人個人が享受していないのに、右パチンコ店の事業所得が被告人に帰属すると認定した原判決には、所得の帰属に関する重大な事実誤認がある、ことに原判決が昭和五七年及び同五八年の被告人のパチンコ店経営による事業所得に関し、合計三億八三八八万円の経営管理料及び合計約五三〇〇万円の簿外退職金・簿外特別功労金を経費として認容しているのは、その額の多さ、根拠の薄弱さの点において極めて異常であって、むしろ右事業所得の一部が被告人に帰属しないことを査察官も知っていたため、その実態に合わせ、同被告人の課税所得を減ずるために右のような安易な経費認容の処理をし、これを原判決も是認した疑いがある、と主張し、さらに仮に所得の帰属の点に関する右主張が容れられないとしても、原判決には前記二店舗の事業経営にとって必要不可欠であった韓国政治家への献金、納税協力団体の海外旅行費用等の交際費を必要経費として認定していない点において判決に影響を及ぼすべき事実誤認がある、というのである。

そこで所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討するに、以下に説示するとおり、原判決には、所得の帰属に関する事実誤認は認められず、他方右経営管理料に関する事実誤認が認められるが、右誤認は右帰属の認定に影響しないと考えられ、また被告人のみが控訴した本件において、右経費を否認して所得を増額させることは訴因の制約上許されないから、結局、右事実誤認が判決に影響を及ぼすとは認められない。

また、退職金、特別功労金の経費認容が不当であるとの主張及びその他認容漏れの経費があるとの主張も理由がない。

すなわち、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人の事業経営の実情及び当審に至るまでの事件の推移として、以下の事実が明らかである。

一  被告人は、在日韓国人である父金学厳、母羅判連の間に長男として生まれ、兄弟として次男金泰奉(一九四六年八月五日生-以下泰奉という。)三男金泰源(一九六〇年生-以下泰源という。)のほか四人の妹がいる。

二  金学厳は、昭和三九年(一九六四年)死亡したが、同人はその当時寝屋川市内に丸三パチンコセンター(以下寝屋川店という。)及び東大阪市内にマルサン会館(以下東大阪店という。)のパチンコ店二店舗を経営していたところ、被告人が長男であったことやそのころ他の兄弟がいまだ年少であったため、東大阪店の土地建物の所有名義を泰奉に移したもののその余の遺産はすべて被告人が相続し、右二店舗の営業名義(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律-旧風俗営業等取締法-に基づく風俗営業者としての許可名義。以下単に名義という場合は同法上の名義をいう。)も被告人が単独で引継いで経営を続けたが、同年中にさらに被告人名義で大阪市鶴見区内にパチンコ店丸三会館(以下鶴見店という。)を新規開店し(土地建物は被告人の所有名義)、昭和四六年には、弟泰奉(当時二五歳)が結婚して独立したため東大阪店の営業名義を同人に移し、昭和四九年にはさらに被告法人を設立して自らはその代表取締役に就任するとともに泰奉を専務取締役とし、翌五〇年には同法人経営名義の「王城パチンコ」店(以下王城店という。土地は被告人所有名義、建物は法人所有名義)を寝屋川市内に開店した。

なお被告人は、昭和四八年から奈良市内に義兄朴八元との共同経営名義によりパチンコ店一軒(以下奈良店という。)を経営していた。

三  被告人は、昭和五四年に、同業者の団体である寝屋川遊戯場組合の組合長及び在日韓国人の経営者らの納税事務等の適正円滑化を目的とする枚方納税経友会の会長に就任したため多忙となり、王城店、東大阪店を含め寝屋川店、鶴見店の日常の経理事務は被告法人の会計担当社員正木春代が一括して担当し、また右四店舗の営業状態の見回り、売上金の集金等は泰奉が主として行っていた。

しかしながら、各店舗の営業の基本方針、すなわち、パチンコ機種の選定、割数(出玉率を表わす数字で、割数一の場合は玉の売上額と交換額が一致し、一以上の場合は交換額が上まわっていることを示す。)、従業員の採否や勤務条件等は、被告人が前記の業界団体において得た情報を参考にするなどして最終決定を下していた。

四  昭和五九年六月二一日、大阪国税局は被告人に対する所得税法違反及び被告法人に対する法人税法違反の犯則嫌疑事実による令状に基づき、被告人の自宅その他を捜索し、自宅から奈良店を除く前記四店のパチンコ店の昭和五七年一月ないし同五九年五月までの売上除外額等を記載したと推測されるメモ九枚を押収するとともに、被告人に対して簿外預金の額と所在を任意に明らかにするよう求めた。

これに対して、被告人は同日から九月一八日ころまでの間、収税官吏(以下査察官という。)の度重なる質問に対し、所得の帰属に関しては、その営業名義どおりであること、すなわち、鶴見店、寝屋川店の事業所得は被告人に、東大阪店は泰奉に、王城店は被告法人に帰属すること及び売上除外をしていることは認めたものの、その額に関する質問に対しては、一部の簿外預金約三億円の存在を明らかにしたものの、親族全体に関わる問題であるからその全部を明らかにすることは今の段階ではできないと答え、前記メモについても故意に曖昧な説明をしていた。

五  しかしながら、同年八月三一日には前記メモの解読が終了し、同メモにより昭和五七年及び五八年の前記四店舗の売上除外額が約二〇億円に上ることが判明し、昭和五九年九月一八日に第二次の強制調査が行われるとともに査察官の説得もあったため、被告人もついに約二〇億円にのぼる簿外預金の存在を証明する預金証書等の提出に応じた。

従ってその後の調査は、前記メモによって明らかになった昭和五七年ないし同五八年の寝屋川店、鶴見店、東大阪店、王城店の実際売上額と売上除外額に基づき、店ごとに必要経費の費目と額とを明らかにすることに重点が移った。

六  被告人は、右調査に対して、売上除外額の大半は末弟泰源や妹婿木原真一の独立のための準備資金であるとか、経費として明細を必ずしも明らかにできない韓国政官界の有力者に対する献金や前記遊戯場組合、納税経友会の海外旅行や接待費の負担分合計約六億円があるとの主張を繰り返していた。

七  ところが昭和六〇年一〇月一五日ころに至って、被告人は査察官福島清に対し、前記四店舗全部についてその営業を見回って被告人を補助していた泰奉の功労に報いるため、被告人の個人経営名義となっている寝屋川店、鶴見店及び法人名義の王城店の三店舗の売上除外額の半分を、いわゆるフィーバーブームにより利益が急伸した昭和五七年一月以降、経営管理料として泰奉に支払うとの口頭による約束が昭和五七年一月二日に泰奉との間になされていたから、これを右三店舗の事業収益から必要経費として控除してほしい(但し、その後王城店については右主張を撤回。)、前記メモはそのために作成していたものである、と供述し、さらにその後の質問てん末書において、寝屋川店、鶴見店に永年勤続し、被告法人の従業員もしていた佐藤茂雄こと金海水に、昭和五八年中に金三〇〇〇万円の退職金を、奈良店の店長朴龍元に対し、昭和五八年中に特別功労金二五〇〇万円をそれぞれ支払ったので、これを右各店舗の経費として認容してほしい、その余の献金の主張は虚偽であった、高額の接待費等の主張も撤回するとして従前の供述を大幅に変更した。

八  そのため査察官において、関係者に対して反面調査を実施し、事実関係を確認したところ、泰奉も兄との間に右経営管理料の約束があったと認めた(但し、当初は、簿外預金の半額を受け取る約束であったと供述していた。)ため、国税局の内部的検討を経て、約三か月後の昭和六〇年一月二八日に至って、泰奉に対する所得税法違反の犯則嫌疑事実が新たに立件され、前記メモによる昭和五七年、五八年の両年度の前記被告人名義の二店の売上除外額の半分を泰奉の雑所得として加え、同額を被告人の所得に関する経費として認容し、また前記退職金及び特別功労金の経費処理も認容(但し、退職金三〇〇〇万円のうち約二三〇万円は王城店の経費として振り分けた。)して課税所得額を確定し、検察官も右処理を是認して原審裁判所に対し、被告人と泰奉を、昭和五六年ないし五八年の各所得税法違反の公訴事実及び被告人と泰奉が共謀して被告法人の同三事業年度の法人税を免れたとの公訴事実により起訴し、原審は右各公訴事実と同一の罪となるべき事実を認定して、被告法人を罰金七〇〇〇万円に、被告人を懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に、泰奉を懲役一年六月及び罰金一億五〇〇〇万円に、それぞれ処した。

九  ところが、当審に至って、被告人は、原審においては、懲役刑について執行猶予が付されると考えていたため真実を述べなかったが、実は、査察の段階で前記福島に対して、合計約六億円にのぼる政治献金等の経費があると主張していたが、その証明あるいは関連性がないとして全く受け入れられず、かえって福島の側から売上除外額の半分を泰奉に振り分けて所得を減ずれば二人とも執行猶予になるかも知れないとの教示を受け、泰奉とも相談のうえ口裏を合わせて経営管理料の約束があったように虚偽の供述をしたのであって、経営管理料の約束は架空である、また前記退職金、特別功労金についても当初は否認ないし少ない金額しか認められなかったものが福島査察官から前記のような有利な認容をすると言われた、と供述し、泰奉も当審において、経営管理料についての前記供述を覆し、兄の強い依頼がありかつ一審の弁護人からも執行猶予になるとの示唆を受けたため二年間で約三億八〇〇〇万円もの巨額の雑所得(経営管理料)があるかのような自白を維持したが、そのような事実はない、と主張するに至った。

以上認定の事実経過をふまえて、まず、原判決が被告人の所得であると認定した前記二店舗のパチンコ店から生ずる事業所得の帰属について検討する。

所得税法一二条は、実質所得者課税の原則を定め、所得は営業の名義にかかわらず事業の収益を享受する者に帰属すると定めているから、被告人が前記パチンコ店二店舗の営業名義人となっているからといって、所得の帰属者と即断することはできないことは勿論であるが、複数の親族がかかわる事業所得において収益を享受する者とは、単に所得の分配を受ける者をさすのではなく、その事業の経営方針を決定するにつき支配的影響力を有すると認められる者を意味すると解するのが相当である(同一世帯の親族について同旨、所得税基本通達一二-五)ところ、前記一ないし三に認定した点及び以下に説示するところを併せ考慮すれば、被告人が前記二店舗の経営方針について、支配的影響力を有していたと認めることができ、前記二店舗の事業所得の帰属者を被告人と認定した原判決に所論の事実誤認は認められない。

すなわち、被告人の原審及び当審における供述内容、検察官に対する昭和六〇年七月一六日付供述調書(二通)によれば、パチンコ店の営業における利益は、短期的にはパチンコ玉の売上額、割数、景品の仕入れ額等の要素、とりわけ割数に支配され、長期的には営業店舗の立地条件、パチンコ台の機種・台数、従業員の質等により左右されることが明らかであるから、パチンコ店営業の経営方針に誰が支配的影響力を及ぼしているかは、その営業名義、税金の申告名義のほか、割数の決定、パチンコ台の機種、台数の決定、従業員の採否、勤務条件の決定、売上金の管理運用方針の決定等の重要な判断を誰が行っているかの諸点及び店の土地建物の所有関係等の事実を総合して検討すべきところ、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人は、王城店の従業員のみならず個人経営名義の二店舗の従業員らからも社長と呼ばれ、右三店舗の外東大阪店の店長らを集めて店長会議を主催し、右のような重要事項に関する決定を指示していたこと、他方、泰奉は、その経営名義になっている東大阪店のほか法人及び被告人経営の店舗にも日常的に出入りし、営業状態と従業員の監督等をしていたものの、右各店舗の従業員らから専務と呼ばれており、同人自身常に重要事項についての最終判断を兄である被告人に仰いでいたこと、その余の親族が経営に参画していた形跡は全くないこと、前記認定のように被告人名義の二店舗の土地建物は被告人が所有していたこと及び売上除外額の決定、簿外預金の設定、管理を被告人が泰奉に指示して行なっていたこと、右二店舗に関する事業所得を含む所得税の申告は被告人名義で行なわれていたことの各事実が認められる。

以上を総合すれば、被告人がその営業名義にかかるパチンコ店二店舗の経営方針に支配的影響力を及ぼしていたことが明らかであるといわなければならない。

これに対し所論は、在日韓国人社会の特殊性、すなわち慣習として家父長制度が存在し、父死亡後は長兄が家族全員の扶養責任を持つことが当然とされ、本件においても父の遺産を主として被告人が引き継いだ形式をとっているものの、その実質は親族全員のために資産を活用発展させて親族の生活を支えることが義務づけられていたのであるから、要するにパチンコ店の営業はその名義の如何に拘らずすべて一族の事業と認めるべきであると主張するが、右主張自体、誰がどの様な割合で経営に参加しているのか不明確であって甚だあいまいな主張であるといわざるを得ないうえ、先に説示したとおり、その経営方針の基本的部分を被告人が決定していると認められる以上、その所得は、所得税法上被告人に帰属すると認定するのが相当であり、その所得が必ずしも被告人のためのみに用いられていないとの所論指摘の事由は、単に所得の使途をいうにすぎず、右認定の妨げとならないというべきであるから、所論は採用できない。

もっとも以下に述べるとおり、所論指摘の経営管理料に関する原判決の認定は首肯できない。

すなわち、右経営管理料の認定は、被告人が病弱なためと寝屋川遊戯場組合や経友会関係者等との対外的な交渉や行動で忙しくなり、店には最小限必要な時間だけしか顔を出せなくなったので、自分の店の具体的な日々の営業管理や売上金の集金は全部弟に任せるようになっていたところ、いわゆるフィーバーブームにより利益が急伸した昭和五七年一月から被告人個人名義の二店の売上除外額の半分に相当する金額を、右営業管理に対する報酬の意味で泰奉に取得させるとの約束を昭和五七年一月二日の初詣の帰りに、口頭で交わしたとの被告人の査察官及び検察官に対する供述とこれに符合する泰奉の供述のみに基づいている。

ところで、一般に犯則嫌疑者から右のような約束が親族間で交わされたとの主張が出た場合には、親族間で所得を分散し、累進税率の不当な軽減や一件当りのほ脱額の減少等を企図する租税回避行為につながりやすいため(検察官もその答弁書において、右経営管理料の認容が一般論として税法理論にそぐわないおそれがあることを認めている。)、その認定はできる限り明確な論拠と証拠に基づき、厳格になされるべきであると考えられるが、本件経営管理料は、前記認定のように口頭の約束があったとの兄弟の供述以外にその存在を裏付ける証拠は見あたらないこと、右二店舗の昭和五七年及び五八年の売上除外額の半額は合計約三億八〇〇〇万円に及ぶところ、右額は、泰奉が弟という近親者の立場である点とその管理の実態が日常的な見回り、集金といった、いわば単純なものにとどまっていた点に照らして不相応に高額であること、前記第一次強制調査着手までの約二年半の間、右経営管理料支払いの約束について、現実の履行がなされた形跡がないこと、の各事実が明らかであるばかりでなく、右約束内容の明確性について検討しても、前記認定のように、泰奉が同じく経営管理的業務に従事していた被告法人経営の店舗についての経営管理料をどう扱うのか、半額というものの売上除外額を基礎とするのか簿外預金を基礎とするのかといった点に関して両名の供述に変遷があるうえ、簿外預金から泰奉のために支出された分はどう控除するのかの点でも曖昧であると認められ、前記口約束は甚だ粗雑な内容というべく、従って、右経営管理料の存在には強い疑問を差し挟まざるを得ない。

当審証人福島清は、このような経営管理料を認容した先例はないものの、前記メモは経営管理料支払いのために作成したとの被告人の供述の存在と泰奉が不利益な事実を自認したことを併せ考慮すると、右主張を認容せざるを得なかったと供述しているが、右メモ自体は、各店別のパチンコ台一台あたりの平均売上額、割数、売上除外額をそれぞれ記載していたものであって、泰奉への取得分に触れたと解されるような記載は一切なく、むしろ割数と売上除外額を管理するためのものであったとの被告人の当審における供述内容に沿うものと見られ、これによれば単なる裏帳簿と理解するのが自然である。

また福島証人は、雑談的にと言いながらも、査察の段階で被告人に対し、奈良のブロック製造業者が約一〇億円をほ脱した事案で執行猶予が付された事例があった旨話したことがあるとの供述をしており、そうすると兄である被告人から強い説得を受け、その際執行猶予の可能性についても言及されたため、巨額の架空所得を認めてしまったとの泰奉の当審における供述内容にもそれなりに首肯すべき点が認められ、前記福島査察官の供述するように、泰奉の査察段階における自白を経営管理料認定の有力根拠とすることも相当ではない。

所論は、このような不自然不合理で前例のない巨額の経営管理料なるものが査察の段階で結果的に是認されたのは、被告人の所得の一部が被告人に帰属しないことを査察官が自認していたことの証左である、と主張する。

しかしながら、前記認定のように、被告人は自己名義の二店舗の所得の帰属については査察の当初からこれを争っていなかったうえ、その所得が自分に帰属することを当然の前提としてパチンコ店の営業に関し約六億円の簿外経費を主張していたところ、昭和六〇年一月ころに至って突然これを撤回し、その後経営管理料が認容されるに至った経緯と前記認定の経営管理料自体の不自然性とを併せ考慮すると、経営管理料が認容された事情としては、次のように推認するのが合理的である。

すなわち、査察官において、簿外預金と前記メモとを比較検討すると、簿外預金には他の年の売上除外金額が含まれているため、昭和五七年、五八年に限って検討すると、前記認定のように前記メモから判明する売上除外額と残存する簿外預金額がほぼ同額であるということは簿外預金の額が少ないという計算となり、多額の簿外支出が推定される反面、被告人の主張するような韓国政官界要人に対する献金、遊戯場組合、納税経友会の高額接待費等は立証が困難で関連性も乏しく、経費としての認容ができにくいため、他の経費費目を検討する必要に迫られ、他方経営管理料の認容によって被告人の所得を減じてその分を泰奉の所得に振り分けても総体としての課税に大きな変化が生じないとの判断が査察官側にあり、他方被告人としての泰奉の納得が得られ、しかも自己の所得を減ずることができれば、といった打算が働いたため、それまでの簿外経費の主張を撤回して、経営管理料として一括することに応じた、との一種の取引がなされたのではないかと解する余地がある。

そうすると、原判決が経営管理料について、これを経費としてそのまま認定した点は事実を誤認したものというべきであるが、これは右に述べたように、査察の段階で、経費に関する十分な主張、立証とこれに対して必要な調査を途中で打ち切ってしまったために発生した事態であって、所論がいうような被告人名義の二店舗の所得の帰属には何等関連性がないと考えられるから、右誤認が、所得の帰属に関する原判決の認定を左右するとは認められない。

次に所論が経営管理料とともに不自然であると主張する退職金、特別功労金の認容の是非について検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人名義の店舗に昭和四〇年ころから同五七年まで勤務し、その後被告法人にも勤務し、同五八年に退職した金海水に対し、被告人が同年中に金三〇〇〇万円の退職金を支払ったこと及び奈良店に開業以来店長として貢献していた朴龍元に対し、同人が昭和五八年ころに自宅を建築した際に被告人が金二五〇〇万円の援助をしたことの各事実が認められる。

右事実によれば、右両名に対する支払いには、その支出額の全額を経費として認容すべきか否かといった問題点が考えられないではないが、支払い自体が虚偽であるとか経費として全く認定し得る余地がないとまではいえず、結局右費用の認容の不自然性を根拠に、帰属の点についての原判決の認定を論難する所論も採用できない。

以上のとおり、原判決には、所得の帰属に関する事実誤認は認められず、また、前述のように経営管理料を否定して被告人の課税所得を増加させることには訴因の制約があり、当審において訴因変更を促すことも前記認定の審理の経過にかんがみれば相当ではないと考えられるから、昭和五七年及び五八年の経営管理料の勘定項目を訴因調整勘定と訂正して、同額を被告人の所得に関する損金扱いとして維持することとする。

所論はさらに、査察段階で否定された、韓国政官界への献金及び遊戯場組合、経友会の交際費等を経費として認容すべきであると主張するが、その具体的な額、相手方、必要性を裏付ける資料としては、被告人の当審における極めて漠然とした供述しかなく、到底右のような経費があったと認定することは困難であるといわざるを得ない。右所論も採用できない。

その他所論にかんがみ記録を精査して検討しても、原判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意中量刑不当の主張について

論旨は原判決の被告人に対する前記量刑が不当に重いと主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討するに、本件は、前記のごとく被告人が泰奉と共謀のうえ、被告法人の三事業年度の法人税合計三億二〇〇五万五〇〇円及び被告人の三年間の所得税合計三億三四四〇万二八〇〇円をほ脱したという事案であるが、右各税のほ脱額の合計は、六億五四〇〇万円余の巨額に及ぶこと、そのほ脱率は、法人税で約八一・五パーセント、所得税で約七六・七パーセントと高率であること、その手段は、パチンコ店の現金収入の一部を簿外として申告から除外するという方法を主体とするもので手段としては単純であるが、現金取引がほとんどの右業界の特色を悪用したもので必ずしも悪質でないとはいえないこと、共犯者とされている泰奉との関係では被告人が主導的であったと認められること、納税の適正円滑化を標榜する団体の会長に就任していた時期の犯行であること等本件各犯行の罪質、態様、動機、ほ脱額、ほ脱率、共犯者間における地位等の各事実を考慮すれば、犯情は軽視できず、被告人が修正申告に伴う本税のほか重加算税等の付加税も含め約一三億円をすべて納付して反省の情を示していること、被告人には同種前科を含め一切の前科がないこと、地域業界の指導的立場にあり、地域の再開発等にも積極的に協力するなどの社会的貢献も認められること等所論指摘の被告人のために酌むべき一切の情状を十分斟酌しても、被告人を懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、原判決時を基準とする限り、重過ぎて不当であるとは考えられない。

しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後、被告人は、大阪府社会福祉協議会及び日本赤十字社大阪府支部に対して合計一億円もの多額の贖罪寄付をし、また当審における三年間の審理中に反省の念が一層深まったことが認められ、さらに当審における証拠調べの結果明らかとなった前記査察と起訴に至る経緯によれば、被告人は執行猶予の可能性についてほのめかすかのような査察官の不適切な言動によって、簿外経費について十分な主張を放棄せざるを得ない状況に追い込まれたとも考えられ、量刑も正義感、公平感に合致し被告人及び社会をして首肯せしめるものでなければならない以上、前記のような、被告人が査察官の安易な処理に翻弄された側面があったとの事情を広義の「犯罪後の情況」として量刑上斟酌することも可能であると考えられることの各事由をさきの諸情状に併せ考慮すれば、現時点においては被告人に対する前記量刑をそのまま維持することはいささか酷に失し、被告人に対しては、その懲役刑の執行を猶予するのが相当であると認められる。

よって、被告法人に関する本件控訴は、理由がないから、刑事訴訟法三九六条により棄却することとし、なお刑事訴訟法一八一条一項本文により当審における訴訟費用中、証人福島清に関する分の二分の一を被告法人に負担させることとする。

被告人に関する本件控訴については、刑事訴訟法三九七条二項により、原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、原判決の認定した事実(但し、昭和五七年及び五八年の修正損益計算書中の経営管理料の勘定項目は訴因調整勘定と訂正する。)にその挙示する各法条のほか刑法二五条一項を、当審における訴訟費用につき刑事訴訟法一八一条一項但書を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 近藤暁 裁判官 梨岡輝彦 裁判官 安原浩)

昭和六二年(ウ)第一一七号

○ 控訴趣意書

一 所得税法、法人税法違反 金守

二 法人税法違反 泰斗興産株式会社

代表取締役 金泰源

右被告事件につき、昭和六一年一二月一七日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し被告人らが申し立てた控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和六二年五月二九日

弁護人 白井美則

弁護人 長谷部成仁

弁護人 加藤保夫

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

第一 控訴の趣旨

被告人金守及び被告法人泰斗興産株式会社に対する原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、かつ被告人金守に対する原判決の量刑は重きに失し、いずれも破棄されるべきものである。

第二 被告人金守に関する事実誤認について

一 原判決の認定した事実とその誤り

原判決は被告人金守(以下守という。)の罪となるべき事実のうちの所得税法違反の点について、公訴事実をそのまま認め、これを全額守の所得としている。しかしながら、右守個人の事業所得とされたものは、本件事業の沿革、実態からみれば守個人に帰属するものではなく、守の弟金泰源及び妹婿木原真一らに帰属するものであることが明らかであって、原判決はこの点に関する証拠の取捨選択ないしその価値を誤り、事実を誤認したもので、その誤りが判決に影響をおよぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

以下その理由を述べる。

二 はじめに

被告人金守に対する事実誤認の主張を述べるに当たり、本件の争点、問題点をまず明らかにしておく。

査察以来の本件の主たる争点は、実は被告人金守の個人事業とされたものから生ずる所得の帰属の問題であった。しかし、査察の過程でこれを帰属の問題として解決する代りに、主として同被告人の個人事業に関して大巾に経費を認容し、所得を実際上減額してある程度被告人の主張に近付けることが案出され、これに従って通常ではあり得ない経営管理料等の経費項目が認容され、同被告人も一応これを納得して原審判決に至るまで事実をすべて争わない態度に終始し、そのため原判決も査察、捜査の結果構成された真実に反する犯罪事実、すなわち所得の内容、金額をそのまま認定するに至った。しかしこれでは本件の真実の問題点が明らかにならず、従って同被告人の真実の犯情に即した刑責を正しく量定することが不可能であり、結局同被告人は虚偽の計算に基づく真実ではないほ脱所得額について過重な刑責を負わされたことになる。

そこで以下では、まず本件の真実の問題点が、本件一連の事業の沿革、殊に被告人金守一族の在日韓国人としての特殊性がそれに及ぼしている影響等から生ずる所得の実質的な帰属にあったことを明らかにし、次いで本件査察、捜査の過程でこの帰属の争いを解消するために案出認容された総額約四七〇、〇〇〇、〇〇〇円に及ぶ経営管理料、簿外退職金(簿外退職金のうち、金海水の分の一部及び羅容学の分は、法人の経費とされているが、問題点は同じであるので、以下では特に区別しないでこれを論ずることにする。)、簿外特別功労金について、それが証拠の面でも理論の面でも不合理で到底維持し得ざるものであることを論証し、これによってこれ程までの妥協をしなければならなかった理由、すなわちもともと本件個人事業から生じた所得を同被告人のものとすることに躊躇を感じざるを得なかった事情を明らかにする。

従って、以下でのべる経営管理料等の個々の経費項目の問題は、それだけを取り上げれば同被告人の所得金額を減少せしめている項目の論難として同被告人に不利益であるかの如くであるが決してそうではない。それは、これこそが本件の処理全体を流れる妥協性、不合理性及びそのような妥協が行なわれざるを得なかった所以を浮き彫りにし、結局問題の個人事業の所得の真実の帰属をどのように解すべきかを示すものだからである。

三  守の個人事業の性格及びそれから生ずる事業所得の帰属について

1 本件個人事業から生ずる事業所得の帰属を決するに当たっては、まず守の個人事業をはじめとする本件一連の法人、個人の事業の沿革及び実態を明らかにする必要がある。

本件一連のパチンコ営業は、もともと昭和三九年に死亡した被告人らの父金学巌が始めたものが基盤で、同人は寝屋川丸三会館(以下寝屋川店という。)、東大阪丸三会館(以下東大阪店という。)を経営するに至った段階で死亡した。

当時、被告人らの家族は、母羅判連(学巌の妻)、長男守、次男相被告人金泰奉(以下泰奉という。)のほかに、花子、静子、和子、昭子の四女及び末弟金泰源(以下泰源という。)の八人であったが、守以外は幼少または女性であり、かつ周知のとおり韓国では、父死亡後は長兄が父代りとなり、一家の生活について全面的に責任を負う風習が強く、被告人らの家族でもこれに従い、東大阪店は将来泰奉に相続させることにしたものの、当面は相続による財産の分配は行わず、父の事業はそのまま守が引き継いで一家の生活を支え、昭和四六年に泰奉が結婚していわゆる一人前となるに及び同店の名義を泰奉に切り換え、これを同人の経営に移したが、その後も妹四人の結婚の世話や母と末弟泰源の生活等はすべて守がこれを負担して来た。

守はその後順次事業を発展させ、新たに鶴見丸三会館(以下鶴見店という。)を開店し、昭和四九年三月一二日には資本金一二五万円で食堂営業等を営む被告法人泰斗興産株式会社(以下法人という。)を設立し、自らが代表取締役となり、泰奉を専務取締役とし、翌五〇年春には法人の店として本件王城店をも開店し、以後泰奉のみならず弟泰源や妹和子、更らには後に同女と結婚した王城店の店長木原眞一ら親族が協力し、在日韓国人に特徴的ともいえる一族の団結心のもとに守が中心となってこれら四店のパチンコ店を経営していたが、昭和五四年に守が同業者の団体である寝屋川遊戯場組合の組合長及び在日朝鮮人の同業者等の納税事務、経理事務を適正円滑ならしめるための組織である枚方納税経友会の会長に就任してからは、同人はこれら団体の活動、業務に多大の時間をとられるようになり、更に健康上の理由も加わって日常法人の王城店及び自己の寝屋川店、鶴見店の経営管理に十分な力を注ぐことができず、自らは客の好みの傾向や業界のすう勢等に関する情報の収集、これに基づく機械(パチンコ台)の入替え、店舗の改装等の基本的営業方針や利益率の検討、出玉率の変更等の各店の営業の基本に関する事項を掌握管理するのみとし、これに従って運営されるこれら三店の日常業務は泰奉や木原らに一任し、同人らから毎日報告を求める方針としていた(守の五九年六月二九日付質問てん末書、記録二二六丁《以下証書については二二六丁の表示を省略する。》の二〇八七以下、同検察官調書一七八四以下、泰奉の検察官調書一九七八以下、なお控訴審で補充立証する。)

2 このような沿革の事業であるため、本件各事業は形式的には営業名義により、王城店は法人、寝屋川店、鶴見店は守、東大阪店は泰奉と区別されているが、実質的には法人、個人及びその中での兄弟の区別をほとんどせず、要するに全体として一族の事業であるとの考えのもとに経営していた。このことは

一  守ら兄弟の個人事業である寝屋川店、鶴見店、東大阪店はいずれも独立の事務所、事務員を有せず、法人の泰斗興産ビル六階にある法人の事務所において、法人の従業員である正木春代が経理を含めた三店の事務全般を行っているが、このように法人に事務を委託するについての契約もなければそれに対する報酬もなく、法人から正木春代に支払われていた給料について、査察後に至って各店の事務量をそれぞれ四分の一と擬制し、法人と兄弟の各個人事業に按分して負担させているような状態である(守の検察官調書一七九一裏ないし一七九六裏、正木春代の検察官調書一五八五裏以下、正木の給料についての査察官調査書四六三以下)。

二 売上除外は小規模ではあるが法人の王城店設立以前から全店にわたって行なわれていたが、その目的は元来母の生活費や被告人ら兄弟の生活費不足分、小遣等の資金を簿外で捻出するためであって、その方法は本件犯行当時も全く変らず、売上除外金はどの店の分かを区別することなく、守、泰奉が共同して一括管理し、一族の生活費や事業のために無差別に支出しており、要するに収入の源泉と支出の目的、相手方との区別がされておらず、誰がどの店の収入をどのような用途に費ったのかは特に意識もされていないし記録も残されていない(守の検察官調書一八〇一表、一八三一裏ないし一八三六表、同人の五九年九月一三日付質問てん末書一六一五裏ないし一六一九裏、泰奉の検察官調書一九九二裏ないし二〇〇二表、なお控訴審において補充立証する)。

三 法人については、代表取締役である守は勿論のこと、日常王城店にも勤務し業務全般の責任者として労務を提供していた専務取締役の泰奉さえも役員報酬を取ろうともしていない。法人の公表経理においては、守は昭和五六年三月期以降年額四、八〇〇、〇〇〇円、泰奉は昭和五八年三月期以降年額二、四〇〇、〇〇〇円の役員報酬を取得していたようにされているが、これは国税局も明確に認めているとおり、実際には取っていないのに公表決算上世間並みの役員報酬を取っているようにした方が形が良いという考慮から仮装していた処理に過ぎない(守の五九年九月一三日付質問てん末書一六二二裏ないし一六二五表、未払金についての査察官調査書二三七以下)。

四 売上除外金からの支出の内容、形態も

1 例えば暴力団組長に対する四店の警備料は、どの店の分かという区別もせずに守が一括して支払っている(守の六〇年二月一日付質問てん末書一七七五裏ないし一七七七裏、警備料についての査察官調査書三〇八以下)。

2 個人時代から永らく勤務し最後は法人の従業員として退職した佐藤茂雄こと金海水に対し、昭和五八年中に守が三〇、〇〇〇、〇〇〇円の退職金を支払っているが、その当時には個人、法人の負担割合も全く意識しないで、前記一括管理の除外売上金から支出しており、個人、法人の区分計算等は本件査察開始後査察官が初めて行ったものである(守の六〇年一月九日付質問てん末書一六三七表ないし一六三八裏、退職金についての査察官調査書二二七以下)。

3  守は前記四店の事業とは別に、義兄朴八元と共同して二分の一ずつの出資で奈良丸三会館(以下奈良店という。)を経営し、ここにおいても売上除外によって生じた資金の分配を得ていたが、この資金も前記四店の除外売上金と区別せずに管理され、右奈良店は法人や泰奉の事業とは関係がないのに昭和五八年に奈良店の営業責任者(いわば店長)である朴竜元に対する特別功労金として二五、〇〇〇、〇〇〇円を前記除外売上金から支払っている(守の六〇年一月一八日付質問てん末書一六五七裏ないし一六六二裏、同人の一月三〇日付質問てん末書一七五七裏ないし一七六〇表、特別功労金についての査察官調査書一〇〇九以下)。

というものであること

等の客観的事実をみれば明らかである。

3 右のとおり、本件守らの一連の事業は、営業施設の法律上の所有名義、営業名義を基準とすれば王城店は法人、寝屋川店、鶴見店は守、東大阪店は泰奉と明確に区別し得るかの如くであるが、その実体に着目すればこのような区別が実情に沿わないものであることは明らかで、本件各事業は、要するに守を中心とする被告人ら一族の共同事業であって、それから生ずる所得も本来事業に対する一族の出資の割合や関与、功績の度合によって帰属すべきものであるが、特に本件では、後述するような事情のもとに、守と泰源、木原との間にこれを同人らの「のれん分け」の資金とするとの約束がなされており、同人らに帰属するものと考えなければならない。

尤もこれに対しては、本件事業経営の衝に実際に当たっているのは守、泰奉、それにせいぜい泰源までであり、他の一族はいわば守らの扶養家族的なものであるし、また従来のこの種家族共同的な事業についての裁判例によれば、出資や関与の有無、程度にかかわらず事業を実際に主宰している者を事業主体とし、所得の帰属を認めるのが当然であるとの反論がなされるかも知れない。そして、本件査察及び検察官の処理も、本件所得の帰属を法律上の所有名義、営業名義によって一応画然と区別しているかのように見える。しかし、検察官らの所得計算の内容を検討すると必ずしもそうではなく、その計算自体がやはり前述した実情に強くひきずられ、一方では名義によって帰属を区分し得るかのように扱いながら、その一方で被告人らを納得せしめるために以下に述べるとおり税法の常識を外れた極めて妥協的、便宜的な処理を行っていることが歴然としている。その極端なあらわれが後述する守の個人事業における泰奉に対する経営管理料及び佐藤茂雄こと金海水ら一族に対する簿外退職金、奈良店の朴竜元に対する簿外特別功労金なるものの処理である。しかしこのような妥協的、彌縫的な手段により多少の手直しをしたところでそれによって本件事業の実体に即した帰属の認定ができるものでないことは言うまでもなく、かえって右のような妥協的、便宜的な方策を講じなければならなかったこと自体が、実は本件処理が実体に即していないことを物語って剰すところがない。そして、原判決は記録上明白な右の矛盾を看過し公訴事実そのまま是認しているのであるから、これを維持し得ないこともまた明らかである。

以下、右に指摘した矛盾点について項をあらためて詳述する。

四 本件における妥協的、便宜的処理の誤りについて

1 泰奉に対する経営管理料なるものについて

一 原判決は昭和五七年、五八年の守個人の事業所得に関し、昭和五七年では二四〇、六〇五、〇〇〇円、同五八年では一四三、二七五、〇〇〇円の経営管理料と称する経費を認定し、その一方でこれを泰奉の雑所得としているが、これは実際には存在しない経費を認定することによって本来所得の帰属として論ずべき問題をすり替えたにすぎない。

二 まず、原判決が認定した経営管理料なるものについての証拠をみると、被告人らは本件の国税局の査察及び検察官の捜査において、

1 「王城店は会社、鶴見店、寝屋川店は私(守)、東大阪店については弟(泰奉)が経営主体であり、これらの店からの所得は本来会社と私と弟がそれぞれ自分ものとして取得すべきものでした。

ところで鶴見店と寝屋川店の私の店の分の利益については、五七年分以降の売上除外額のうち半分を弟に対し経営管理料として分けてやる約束をしました。一月二日の初詣での帰りに会社のビルの社長室で弟と二人で話し合ったのです。急激に利益が増えて来たのですが、直接には四店の管理は弟がやっており、非常に忙しいのに頑張っていたので私の店から上がる多額の売上除外金を、実際に働いているのは弟なのに私が一人占めする訳にはいきませんでした。」(守の六〇年七月一六日付検察官調書一八〇〇表ないし一八一二裏、同人の六〇年一月二八日付質問てん末書一七〇六表ないし一七〇七裏、六〇年一月三〇日付質問てん末書一七五四表ないし一七五五表)

2 「兄の二店分の売上除外額については、五七年正月の初詣の帰りに会社の社長室で兄と話し合い、その二分の一を私が社長に代り両店の経営を管理していることの代償として五七年以降私の取り分とするという口約束をしていたのです。ですから私自身の申告分の脱税額は東大阪店の分とこれら二店の分の折半分の売上除外金がその脱税分だと思っていました。」(泰奉の検察官調書二〇〇三裏、二〇〇四表、同人の六〇年一月二二日付質問てん末書一九二一表ないし一九二二表)

と述べ、原審公判においてもこれを維持し、僅かに泰奉が、第五回公判期日の被告人質問で、「約束があったことは事実であるが、各年の年末にこれだけがお前の分だと言って計算されたこともないし勿論実際に貰ったこともない。」と述べた(泰奉の公判供述二二七の六六)のみで、兄弟いずれもこれを敢て争わず、形式的には一応そのような約束が兄弟間にあったかの如く口裏を合せている。しかし、客観的には本件全証拠をみても経営管理料の約束は結局最後まで一銭も履行されていないし、履行しようとした形跡もないことが明らかであるのみならず、かえって前述のとおり本件一連の事業の沿革、実体からみて、兄弟間においてそのような高額の報酬の約束の存在を合理的ならしめるような事情がなく、右の口約束が虚偽のものであることが歴然としている。

三 まず第一に、経営管理料の約束は前述した被告人らの企業の実態に照し不自然極まるものであって、その存在を合理的ならしめるべき客観的な経済的基礎を欠いている。

本件一連の事業は前述したとおり、父が死亡した後守が一家の長兄として母や弟妹の生活の面倒を引き受けて事業の中心となり、これに泰奉ら弟妹が協力し、要するに「一族の事業」というだけの意識で経営発展させて来たものであって、法人及び各個人の企業間において独立の企業としての区別や取引が明確に行われているような性質のものではなく、その間に存在しているのは、守が検察官に対し、脱税の動機に関し、「父の代からその苦労を見、高校生の頃から豚を飼って一家を養ったり、韓国人として人から金を借りることが難しいことを痛感し、父が亡くなってからは韓国の風習に従い長兄として、弟妹の面倒を見て来たので、兄の情としてできるだけ弟のためにも金を貯えてやりたいと考えた。」(守の六〇年七月一六日付検察官調書、一八〇七表以下)と述べているような、韓国人特有の親族間の情愛、協力関係の意識のみである。このような実態の企業を経営している兄弟間において、弟が兄の事業の手助けをしたからと言って税務当局や検察官が主張し、原判決がそのまま認定した本件経営管理料のようなものの存在が合理的なものとして是認されるべきかどうかは自ら明らかであろう。

四 第二に本件の経営管理なるものは実体がない。

本件経営管理なるものについての被告人ら兄弟の供述の内容をみると、守は「昭和五〇年に法人の王城店を開店した頃から、自分は病弱なためと寝屋川遊戯場組合や経友会関係等対外的な交渉や行動で忙しくなり、会社のビルの事務所には毎月のうち三分の一位の日数、必要な時間だけしか顔を出さなくなったので、自分の店の具体的な営業管理や売上金の集金は全部弟に任せるようになった。」と述べ(守の六〇年七月一六日付検察官調書、一七九七表ないし一八〇〇裏)、泰奉もこれに呼応し、「兄は遊戯場組合の関係など対外的な仕事が忙しくなり、五〇年四月以降兄から奈良店以外の四店について売上金の回収とか従業員の管理監督等毎日の具体的な経営管理を任されるようになった。」と述べているのみである(泰奉の検察官調書一九八〇裏、一九八一表、同人の六〇年一月二五日付質問てん末書一九三六表)。経営管理料なるものは、要するにこのように守の寝屋川店、鶴見店の経営の面倒を泰奉が見ているので、その報酬としてこの二店の売上除外金の二分の一に相当する金額を守から泰奉にやることを昭和五七年一月二日の初詣の帰りに二人の間で口約束したことに基づくものであるというのである。

しかし、およそ企業の経営者たるものが自ら行うべきことは、基本的な経営方針の策定、経営のための資金の調達、重要な人事権の行使であって、それ以外の日常の業務の管理を部下の役員、従業員に任せるのはむしろ一般の企業経営の常識である。これを本件についてみると守は前記のような同業者の組合に関する対外的交渉を通じ、どんな機種が人気がでているかとか他の同業者の店の玉の出具合はどうか等、経営に必要な種々の情報を入手し、これによって機械(パチンコ台)の入れ替えや店の改装についての方針、計画を決定し、更には(それが違法であることはともかくとして)今期の決算方針すなわち公表利益をどの程度計上するかという事業者としては最も関心の深い問題について同業他者や税務当局の動向を探り、これによって方針を樹て、自らの経営する前記二店や法人の王城店のみならず、弟泰奉の東大阪店についても同様に指示を与えていたのであるし、資金の管理、調達は守が泰奉と協力して行い、店長等従業員の任免、退職金、見舞金等の臨時的なものを含めた給与の決定もすべて守の意思が中心となって決定されている(守の検察官調書一七九七表ないし一八一三裏、一八二八裏ないし一八三六表、泰奉の検察官調書一九八〇表以下)。

右の事実によれば、本件守の二店について泰奉が行っている経営管理というのは、要するに守の指揮下において、日常各店に顔を出し店頭での従業員の管理監督や平常業務の取りまとめをすることに過ぎない。兄弟の検察官調書では「売上金の管理」という表現でいかにもそれが重要なことのように記載されているが、それは単に毎日四店から集金し、これを守の基本方針に従って公表分と簿外分にに区分けして守に報告し、現金を手渡し、その後は守の指示、了解のもとに金融機関に預け入れるだけであって(守の五九年九月一三日付質問てん末書一六一四表ないし一六一五裏、泰奉の六〇年一月二五日付質問てん末書一九三六裏、一九三七表、同人の五九年九月二八日付質問てん末書一九五三表ないし一九五九裏、同人の検察官調書一九九二裏ないし一九九九表)それ以上の内容を有するものではない。これは、まさにいわゆる番頭や店長等の使用人が一般の企業において担当している仕事に過ぎず、また泰奉がこのように「管理を任され」る以前に、パチンコ店の仕事を覚えるために守の下で各店でやっていた仕事と同じことでもある(泰奉の検察官調書一九七九)。通常の会社や商店における社長と専務、店主と番頭等との間の役割分担はこのようになっているのが普通である。これを「経営管理」と名付けて呼んでみたところで、その実態、内容が変わるものではない。

このような通常の仕事に対する報酬は、それこそ本来専務や番頭が通常受ける報酬、給料に他ならないのであって、それ以外に高額の特別な利益が供与される理由はない。

尤も本件では泰奉は守の使用人としての給料も貰っていないし、前述のとおり法人の役割報酬も実際には受けていない。しかし、これはもともと建前として有償であるべきなのに無償で働いていたという訳ではなく、前記のとおり四店の事業そのものが一体として「一族の事業」であり、そこからの収入で一族全員が不自由なく生活出来れば良いという考え方が基本にあり、実際の使途もそのようになっているとおり泰奉は主として東大阪店を収入源とし、不足があれば一括管理されている簿外資金をあてにすれば良かったから兄弟二人とも敢て法人から役員報酬をとっていなかったのに過ぎない(守の五九年九月一三日付質問てん末書一六一五裏、一六一六表、同人の六〇年七月一六日付検察官調書一八三六表)。

このような実態の「経営管理」に対し、本件のような高額の「経営管理料」が経済的にもこれを合理的とみて首肯し得るものであろうか。

もともと本件四店の事業は、法人と兄弟を明確に区別するにはかなり問題があり、経済的には「一族の事業」とみるのが最も自然であることは既に再三指摘したとおりであるし、仮に第三者との間に民事紛争でもあれば、場合によっては泰斗興産は法人格そのものをも否認され兼ねないような形態のものである。もとより、税法の上では所得の帰属を決定する要素として通常はまず営業施設等の法律上の所有名義、営業名義等を重視しなければならないから、本件で法人、守、泰奉の営業をそれぞれ名義に従って区分し、納税義務の主体を決定することも一理あるかもしれない。しかし前述した在日韓国人の風習や、これが我国において置かれている経済的立場は到底無視し得ないものがあるし、実態がこのようなものである以上、少なくとも守、泰奉間において前記のような程度の「店の管理」をしてやったからといって、支払う側の守の年間事業所得の八割にも達するような金額の経営管理料の支払いを自然、妥当ならしめるような経済的基礎はないといわなければならない。むしろ、そういうことで泰奉の取得すべき報酬を論ずるなら、それは店長の給料か、せいぜいこれに幾らかの上乗せをしたもの程度であると見るべきである。

あるいは、経済的な基盤や合理性があろうがなかろうが、当事者がこれを約束して履行するという以上それに従って課税するのが正しいと言う議論をなす者があるかも知れないが、これは誤っている。税法は、ある行為、取引をなすに当たって当事者により選ばれた法形式に捉われず、所得が実質的に帰属する者に対し、その経済的実質に従って課税することを原則とし(所得税法一二条、法人税法一一条)、正常な取引の形態を装ってなされた行為であっても、例えばそれが同族会社の親族間等の特殊の利害関係に基づくものであって、通常の経済主体間ではあり得ないようなものであるときは租税回避行為として税務署長はこれを否認し、非同族会社であればなされたような合理的な行為・計算に引き直し、取引の経済的実質に従って課税所得を決定することができるとしている(所得税法一五七条、法人税法一三二条)。

税法における所得の発生、帰属を考えるに当たっては常にこの実質主義(経済的合理性)を無視することはできない。通常の従業員としての労務と選ぶところのない程度の仕事に対し、一般世間の給与より著しく高いどころか、例えば昭和五七年について言えば年間二億四千万円を越える金額の報酬契約を合理的であるというのなら、それを主張する側でそれなりの経済的根拠を示さなければならない。

このような検討を経てみれば、本件経営管理料なるものが如何に被告人ら兄弟の事業の実態からかけ放れたものであり、かつ経済的実質を欠く不合理なものであるかがわかり、ひいてはそのような約束が真実存在したのか、それは、何人がこれを案出したかは別として要するに査察において兄弟の間で所得を適宜、按分する意図のもとに作出された虚偽のものではないかとの強い疑念を抱かざるを得ない。

五 本件経営管理料は金額に合理性がない。

第三に、前にも触れたところであるが本件経営管理料なるものが如何にしても高額に過ぎるという点である。

試みに経営管理料を守、泰奉の各事業所得の金額と比較してみると次表のとおりである。

〈省略〉

つまり守が支払う経営管理料は、昭和五七年では寝屋川店、鶴見店の二店のパチンコ営業による事業所得の約八三%に達し、五八年ではこれを凌駕しているし、受取る泰奉の事業所得と比較してみても五七年では約六五%、五八年では約六一%に達している。

そして、いうまでもなく、被告人両名の右各事業所得はそれぞれ店舗、敷地及び機械設備に多額の資金を投入し、多数の従業員を雇い入れ、物的、人的設備を整えて営業資金を回転させ、営々として一年間働いた挙句の成果であるが、経営管理料なるものの方は原判決添付の修正損益計算書によって明らかなとおり、これに対応する一銭の経費も要せず、単に毎日守の経営する二店に顔を出すだけで発生することになっている。税法は、通常の経済人の経済的行動を前提とするものであるが、経営管理の内容について如何なる形態のものを想定してみても、これ程高額で効率の良い報酬を正当ならしめるものに思い付くことはできない。このことは、やはり経営管理料の約束なるものが通常の経済人の思考から案出されるような性質のものでなく、当審において守が主張している(控訴審で立証する。)ようにもともと虚偽架空のものであったことを示している。

六 経営管理料の定め方も不自然極まる。

1 次に経営管理料が泰奉の行って来た経営管理の報酬というのであれば、なぜ昭和五七年一月になっていきなりその約束がなされたのかが合理的に説明できない。前述したとおり守が忙しくなり、泰奉が法人の王城店を含め三店の日常業務を管理するようになったのは、昭和五七年に入ってから始まったことではなく、既に昭和五四年春以来そうであったというのであるから、その間の経営管理に対する報酬がなぜ無くても良いのかという疑問が当然生じてくるが、泰奉も守もこの点について触れてはいないし、査察官、検察官から追求もされていない。しかし、以前から同じように労務が提供されていて事情の変更が何一つ無いのに、ある時点から急に報酬を支払うことにしたというのであればその理由について一応の説明を必要とするであろう。

そこで考えられる理由がただ一つある。それは、前述のとおり昭和五六年後半から異常なフィーバーブームが巻きおこり、五七年以降は飛躍的な収入の増加が見込まれるようになって多額の売上除外をしたからということであろう。

つまり、五六年以前は売上も少なく除外売上金も僅かだったから特に報酬は支払われなかったが、フィーバー機導入以後びっくりする程儲かり始めたからこの際つかみ金で支払うことにするということである。しかし、そうであるとするなら、それこそ「守の事業においてその年の収益に対応する経費としての性質を有する労務の対価の支払」という性質からますます遠ざかる。何故なら、本来支払うべき性質を有し、債務として認めるべき報酬の支払いであるなら、それは収入の多寡にかかわらず昭和五五年にも五六年にも支払うべきものであり、売上やその除外金額の多少に影響されることは無いはずだからである。「異常に儲かったからこの際金額が釣合の取れるものであろうが無かろうが、一挙に払ってしまう。」というのであれば、それは収益対応、期間対応の原則に従って認められるべき経費ではなく、何と名付けようともやはり「家族間における利益の山分け」という本来の色彩が強く表面にあらわれてくるのである。更に、売上除外に協力させたからという意味が含まれているとすれば、このようないわば脱税協力金には、そもそも経済性が認められない(大阪地判昭和五〇・一・一七、公刊物不登載)ことを忘れてはならない。

2 また、原判決認定のような経営管理の報酬であるというのなら、法人の王城店についてはなぜそれが約定されていないのかも不思議である。あるいは、法人については泰奉も専務取締役の地位にあり本来その業務を執行すべき職責を有するから特別の報酬はなくてもよいのであるという説明がなされるかも知れないが、そのように考えるならそれはまさに本件経営管理なるものは、通常の役員としての仕事であり、通常の役員報酬で賄える程度の労務であることの証左と言わなければならず、従って守の二店の営業に関しても同様に常識的な役員報酬に相当する金額の報酬を支払えばよいことになるし、何よりも前述したとおり守も泰奉も法人の役員報酬は実際には受取っていなかったのであるから、この説明は問題にならない。

この点は、さすがに査察官も一応の説明を要すると考えたようであって、守に対し「あなたが前問で述べた経営管理料について泰斗興産株式会社もあなた個人の事業と同様弟さんに対して経営管理料を支払う必要はないのですか。」と質問している(実際には質問をした形式をとっているだけであると考えられるが、この査察、捜査の経過については後述する。)が、これに対する守の答弁は「昭和五七年一月に私と弟が寝屋川店及び鶴見店の経営管理料を支払うことについて合意しましたが、その時会社で経営する王城店についても売上除外額を私と弟が二分の一ずつわけあうことを取決めていました。しかし王城は会社ですので実際に私や弟が毎期ごとにその分配を受けることまで取り決めたわけではありません。弟も会社から経営管理料を受け取るつもりはなく、私も各年分の王城の売上除外額を弟に通知したことはありません。今回の査察調査によって会社も売上除外額がすべて判明した以上、私と弟が二分の一ずつ分け合うという取決めは棚上げし、将来また相談することを私が決定し弟も合意しました。」というものである(守の六〇年一月三〇日付質問てん末書、一七五四表ないし一七五五表)。

しかし、これはまことに不可解な答である。まず、法人の分について守の二店と同様に泰奉に売上除外額の二分の一を支払うのは良いとしても、残りの二分の一が何故守の取り分になるのか。これを守の事業の場合とパラレルに考えるなら、残りの二分の一は法人のものである筈であって、守までが「私と弟が二分の一ずつ分け合う」などという発想がでてくる訳がない。あるいは守も多少は事務所に顔を出して経営に関与しているのだから、半分位は取っても良い、ということかもしれないが、経営管理料なるものはもともと「日常の経営管理を全部弟に任せっぱなしにしているから」というのであるから、その守が泰奉と同額を取るのは筋が通らないし、また逆にその程度の関与でも経営管理料という報酬に値するというのであれば、前述のとおり泰奉の東大阪店についても守は種々の情報を教え、適時適切な指示指導を与えて泰奉も儲かるように協力してやっているという(守の検察官調書一七九六表、一七九八裏ないし一八〇〇表、泰奉の検察官調書一九八一)のであるから、ここでこそ守は泰奉から然る可き金額の経営管理料なり顧問料なりを受取っても良い筋道のものである。何よりも、役員報酬を現実に取っているかどうかは別として、いやしくも法人の代表取締役、専務取締役の地位にある者が法人の経営を管理してやったからといって、法人の利益を山分けするというのは一体どういうことか。

このように見てくると果たして査察官がこのような質問をし、これに対してこのような答弁が本当に守の口から出たのかどうか益々疑わしくなってくる。

更に、そのように一旦山分けの取決めをしたと言いながら直ぐそれに引き続いて「王城は会社だから、実際に毎期ごとにその分配を受けることまで取決めた訳ではない。」というのは言葉自体としても意味をなさない。泰斗興産株式会社は株式会社というけれども全株被告人ら一族が所有する個人類似法人であって、被告人ら兄弟がその気になりさえすればこれに反対する株主も役員もいない。しかも、事は簿外にしてしまった利益の処分であるから、査察を予測でもしない限り誰に遠慮することもない。どのように考えてみても「会社だから取るのをやめた。」という返答は的外れである。

最後に、「今回査察が入り、売上げ除外額がはっきりしたから改めて弟と話合い、将来相談しなおすことに決めた。」という答弁も意味をなさない。もしこの点に意味を持たせ、「法人についても経営管理料は必要である。しかしこの話合いによって利益山分け契約が御破算になったのだから法人に関しては昭和五七年五八年度の損金としない。」と言うのであれば、それは税法における収益の計上時期の基準を無視する暴論である。原判決は泰奉の経営管理料の計上時期について「所得税法は現実の収入がなくても、その収入の原因たる権利が確定的に発生した場合にはその時点で所得の実現があったものと…するいわゆる権利確定主義を採用している…」と判示している。本件のような兄弟間の利益山分け的なものについて、継続事業の事業収入についての原則である権利確定主義を無批判に適用することが誤っている点については後述するが、それは別として、仮に原判決のように考えるのであれば、法人についても前記質問てん末書にあらわれている程度の兄弟間の約束があれば、経営管理料契約に基づく債権債務はそれだけで確定していると言わなければ首尾一貫しないし、そうすると「査察があってから改めて話合った」ところでそれは昭和五七年当時に既に確定した契約の改訂あるいは解約の話であって、それに基づく課税の処置は、話合いがなされたという昭和五九年以降の事業年度(個人については年)の所得の計算の問題であるに過ぎない。そのようなことは、課税の専門家である査察官が何よりもよく知っている筈であって、仮に守が本気で前記のような答弁をしたとしたら本来一笑に付されるだけであろう。それにもかかわらず、前記のように前後矛盾するどころかおよそ説明の体をなしていない答弁を意味あり気に求め(あるいは求めた体裁をとり)、結果としてそのとおりの処理をしている点は何とも不透明であると言わざるを得ない。

3 この点について泰奉の供述を対比してみると、その不自然さは益々鮮明になる。泰奉の六〇年一月二二日の質問てん末書をみると経営管理料の約束について述べた後「なおこの経営管理料について以前(五九・一〇・一五問六)に『折半するのは王城、寝屋川及び鶴見店の三店分の売上除外金でできた簿外預金…』と述べていますが、社長に確認しましたところ私の記憶違いですので訂正して下さい。」と記載されている(一九二一裏、一九二二表)。ここで引用されている昭和五九年一〇月一五日付の質問てん末書は、原審においてその取調べを請求されてもいないのでその内容を正確に知ることはできない(なお、この質問てん末書は控除審において開示を求める予定である。)が、右に引用された部分のみによっても少なくとも当初の泰奉の供述が、法人についても売上除外金によって生じた簿外預金の二分の一を経営管理料として取得することになっているという内容のものであったことは疑いがない。しかし、これ程高額の契約について検察官や原判決のいうように、いわゆる権利確定主義による権利の確定のための要件を充たす程明確な取決めがなされていたとすれば、経営管理料の対象となる事業の範囲というような最も基本的な要素について当事者の泰奉が勘違いして供述し、後から相手方の守に確認してみてはじめて正確なことがわかったというようなことが起こる筈がない。更に、右公判不提出の質問てん末書によると経営管理料の金額そのものにも根本的な相違が生じてくる。すなわち、右の訂正前の供述では経営管理料の金額は「売上除外金の二分の一」ではなく、「売上除外金によってできた簿外預金の折半」だというのである。いうまでもなく、売上除外金はその全額が簿外預金として留保される訳ではないし、またこれによってできた簿外預金にしても前述のとおりその後法人や被告人らの事業のためのみならず、被告人ら一族の個人的支出にも使用されており、記録中にあらわれた主要なものの一部を例示してみても

ア 後述する佐藤茂雄こと金海水らに対する簿外退職金、朴竜元に対する簿外特別功労金

イ 鶴見店・東大阪店の改装資金

ウ 暴力団幹部に対する警備料

エ 寝屋川遊技場組合等の関係の簿外交際費

オ 泰奉の自宅取得資金

カ  守の土地取得資金

等があり、どの時点を取ってみたところで簿外預金の残高と一定時期の売上除外額とは一致する筈がない。まして被告人等の場合には簿外預金に入金する際にどの店の売上除外金であるかという区別はなされていなかったというのであるから、ある時点の簿外預金の残高の中から、寝屋川、鶴見店の売上除外金でできた部分を特定することなどができる訳がない(泰奉の六〇年一月二五日付質問てん末書一九三七表、同検察官調書一九九六裏)。

このようにみてくると、「経営管理料の約束」なるものについての被告人ら兄弟の供述は支離滅裂であって、到底実際に約束され真面目に履行する意図であった事柄についての供述とは考えられないし、従ってこのような供述を根拠として本件のような処理をした国税局、検察官の認定も税法の常識を無視した不合理なものと言わざるを得ず、原判決もこれと同じ謗を免れない。

七 実際に経営管理料の約束の履行がなされると考えるべき事情が全く存在しない。

1 被告人ら兄弟は前記のとおりそれぞれ(矛盾に満ちた不合理なものではあるが)経営管理料の約束なるものが存在したと供述はしているものの、その現実の履行については一切触れるところがなく、僅かに守が「五七年分及び五八年分の各年分の所得税申告時までには各年分の両店の売上除外額及び簿外経営管理料として私から弟に支払うべき金額を、私が各月ごとに各店別の売上除外額を記録していたメモから計算して私から弟に口頭で通知していました。」「私は前述の経営管理料について弟とよく話合ったところ、私が既に述べたとおりもともと私と弟が昭和五七年一月初にはっきり取決めたもので、私が弟に支払うべき金額も私が記録していたメモで正確に計算できますし、各年分とも翌年の初めに遅くとも所得税の申告時期までに弟に通知していたわけですから…」と述べている(守の六〇年一月二八日付質問てん末書一七〇六裏、一七〇七表)に過ぎない。税務当局や検察官は、この供述にあらわれている。

ア 両店の売上除外額の合計、従ってその二分の一の金額が明確になっている。

イ 各年の初めに守から泰奉に知らされている。

との二つの要素を取り上げ、これによって泰奉の経営管理料請求権は権利確定主義の要素である「何時でも行使し得る(守の側からは債務を履行し得る)状態になっている」から、両名の五七年、五八年の経費、収益として計上し得ると主張するもののようであり、原判決もその措辞からみればこれをそのまま是認したものと考えられる。

2 ところが、右のような要素のみでは本件経営管理料の請求、履行は到底なし得べきものではない。何故なら右の守の供述によって現実に守から泰奉に支払うべき金額が確定するといえるためには、まず売上除外金が一円も費消されず、全額預金(簿外普通預金を経由して簿外定期預金が設定される全過程を通じ)としてそのまま留保されているか、あるいはもし簿外定期預金が設定されるまであるいはその後に支出費消されたものがあるとすれば、それが法人や守の関係の支出であるのか、それとも泰奉の負担に属すべき支出であるのか、その支出の時期、年は何時か、金額はいくらかということがすべて明確になっていることが絶対の前提条件であるのに、売上除外金がそのまま簿外預金となって留保されているものでないことは記録上明白であるし、更にそこからの支出の金額、内容を知り得る資料は当時も被告人ら兄弟のもとには一切ない。これでは泰奉が「売上除外額の二分の一」の計算によって現実に取得すべき金額を知り得べくもない。

3 具体的に検討してみる。

昭和五八年の寝屋川店、鶴見店の売上除外額は寝屋川店九五、九五〇、〇〇〇円、鶴見店一九〇、六〇〇、〇〇〇円、合計二八六、五五〇、〇〇〇円であり、本件の処理では泰奉に支払うべき経営管理料はその二分の一の一四三、二七五、〇〇〇円とされている(原判決の守、泰奉の修正検査計算書、なお査察官の告発、検察官の起訴も同じである)。確かに、両店の年間売上除外の金額は守が査察開始当日に差押えられたメモによって計算できるから、観念上その二分の一の金額を計算するだけであれば右のとおりその作業はまことに簡単である。しかし、ここで問題にすべきは「権利(守からみれば債務)が確定している…すなわち現在の履行に支障となるものがない」(原判決)と言えるか否かであって、観念的な損益計算が可能かどうかではない。

泰奉が、五八年の一四三、二七五、〇〇〇円のうち実際に支払って貰える取り分を請求しようとすれば、その中から既に支払を受けたものがあるかどうか、あればそれは幾らであったかを確定しなければならない。試みに記録中で明らかになっている主要なもののみを取り上げてみても、

ア 泰奉は昭和五八年に自宅の新築工事代金のうち圧縮分二五、〇〇〇、〇〇〇円や、自宅の造園代金七〇〇、〇〇〇円を簿外預金から支払っている(泰奉の検察官調書、二〇〇二、同人の六〇年一月二五日付質問てん末書、一九四〇)

イ 昭和五八年に泰奉が東大阪店の改装を行った際の圧縮分二二、〇〇〇、〇〇〇円すなわち上伸建設分一〇、〇〇〇、〇〇〇円と大阪エース電研一二、〇〇〇、〇〇〇円も簿外預金から支払っている(泰奉の五九年一二月二九日付質問てん末書、一九六五裏ないし一九六七裏)

ウ  守は前記のとおり、泰奉の東大阪店の警備も含め四店の警備料として年間二四、〇〇〇、〇〇〇円を支払っているので、東大阪店の分としては六、〇〇〇、〇〇〇円となる(守の六〇年二月一日付質問てん末書、一七七五裏ないし一七七七裏、警備料についての査察官調査書、三〇八表以下。なお、この按分計算も査察開始後始めてなされたものと思われる)。

等があり、これ以外に日常泰奉が使ったものについてはその記憶さえ明らかでない。そして、これらが若し東大阪店の売上除外金から支出されているとすれば、前記二分の一の割合で計算した泰奉の取り分に影響はないが、東大阪店以外の売上除外金から出ているのであれば、その分は差し引かねばならない。しかし、再三述べたとおり、もともと四店の売上除外金は何の区別もされず一括して留保され、そこからの支出もそれが事業の経費とすべきものであれ、あるいは被告人ら及びその家族の私的なものであれ、資金の源泉を一切区別せず、記録も残さず、その支出に関し守、泰奉間で債権、債務を発生させる約束もしないで支出されているのであるから、前記のような区分ができる訳がない。更に遡って言えば、仮に泰奉が経営管理料とは無関係に、本来自分の経営している東大阪店の売上除外金の交付のみを要求したとしても、除外金額即ち「入り」の計算だけはメモによってできても、支出即ちそこからの「出」を計算することができないから結局正確に分配することはできないのである。本件のほ脱所得の留保形態の真実はこのようなものであり(なお、この店は控訴審において守、泰奉の各店主勘定の内訳を明らかにするように要求することによって更に補充立証する。)、そこにこそ後述するようにこの事件で所得の帰属をあやまりなく判断するための根本的な問題が存在しているのである。この点に眼を蔽い、「出」の計算が全くできないことを無視し、売上除外額の計算さえできればその二分の一の取り分も計算できて(ここまでは正しいが)、従って何時でもその履行が可能で権利の行使に支障がないと言うのは、欺瞞と言っても過言ではなく、この点から見ても経営管理料の約束なるものをそのまま認定した原判決が誤っていることは明らかである。

2 「経営管理料」についての損益の計上時期に関する原判決の誤りについて

一 原判決は、守の経費、泰奉の雑所得とすべき時期すなわち本件経営管理料の損益の計上時期について「泰奉が各年の所得税を申告する時点でこの雑所得の金額は特定されていないところ、泰奉においてこれにつき確定した所得としての認識はなく、納税義務の認識を欠いていたのでこの部分については犯意を欠くものとして脱税額から除かれるべきである。」という弁護人の主張について、「しかしながら証拠(略)によれば守が個人で経営していた寝屋川店及び鶴見店の二店舗について、その日常の経営管理を泰奉が主として行っていたことから守においてその労に報いるため昭和五七年以降右二店舗から除外した売上所得の二分の一を経営管理料として泰奉に支払う旨同年初めに約束したことが認められる。

ところで、所得税法は現実の収入がなくてもその収入の原因たる権利が確定的に発生した場合には、その時点で所得の実現があったものとして右権利の発生の時期の属する年度の課税所得を計算するといういわゆる権利確定主義を採用していると解されるところ、右経営管理料は法律上これを行使することができるようになったときに右権利の確定した金額と認めるのが相当である。そうすると、前掲証拠によれば、泰奉に雑所得として昭和五七年に二四〇、六〇五、〇〇〇円、昭和五八年に一四三、二七五、〇〇〇円の所得があること及び同人においてその所得を充分に認識していたことが認められるから…弁護人らの主張はいずれも理由がない。」と判示している。これは、直接には泰奉の雑所得の計上時期に関する判断であるが反面それは守の経費の計上時期についての判断でもある。

しかしこれは、前記のとおり経営管理料の約束なるものの実体を見誤っていることは勿論のこと、仮にこのような約束がなされたと仮定した上で考えても、所得税法上の損益の発生時期についての誤った見解に依ったものであり、到底是認することはできない。

二 所得税法における損益の発生時期についての原則規定である三六条一項、三七条(法人税法でこれに対応するのは二二条二項、三項)の解釈としては、税務行政の上でも裁判例においても権利確定主義によるものとされていることは原判決のいうとおりである。問題はその内容及び適用の範囲である。所得税法は三六条三項、三九条、四〇条等多くの例外規定は置きながら、右原則規定であるとされる三六条一項、三七条には明確な定め方をせず、「その年において収入すべき金額」、「当該総収入金額を得るために直接に要した費用及びこれらの所得を生ずべき業務について生じた費用(その年において債務の確定しないものを除く)」としているだけであるし、現実に生起する経済事象、取引の形態も千差万別であるので、いわゆる権利確定の内容は具体的にはどのようなものであるかとなるとそれは必ずしも一元的に明確なものではなく、所得税基本通達でも所得の種類によってそれぞれいわゆる権利の確定する時期を個別的に示すにとどまっており(所得税基本通達三六の二ないし三六の一四参照)、結局それは具体的な取引の形態ということも考慮して決しなければならない。

更に、忘れてはならないことは、税法上の権利確定主義は企業会計における発生主義、実現主義に対応するものであるが、発生主義、実現主義は、企業会計において、いわゆる現実収入主義に対し、会計年度によって区切られた継続企業の当期業績を最も良く測定表示する方法として採用されるようになったものであるということである。ところが、所得税法で扱う対象は企業会計と異り、一定の設備を有し継続的に収益活動を営む継続企業に限られず、広く個別的、一回的、臨時的に所得を獲得するような個人をも含むものであって、このような一回的、臨時的な所得では、収入と費用の適正な期間配分の問題よりもむしろ現実の担税力こそが重視されなければならず、この差を無視することは許されない。従来の裁判例をみても事業所得については権利を法律上行使することができるようになったときという原則が一応そのまま適用されているが、その他の種類の所得においては例えば権利の移転について私人間の売買とは異なる扱いを受ける競売による譲渡所得は競落代金が現実に支払われた時とする大阪高判昭和三七年一二月二一日(訟月九・一・一三)、最高判昭和四〇年九月二四日(最民一九・六・一六八八)や、履行が必ずしも確実とはみられない利息制限法所定の利率を超過する利息債権につき、「若しその取引が当事者間に約定されただけでは債権が確定したものとして現実に収入があった場合と同視するのが不適当であるような場合は…約定をしただけでは支払を得た場合と同視することを得ない」とした静岡地判昭和四一年七月一二日(行集一七・七・七六九)、福岡高判昭和四二年一一月三〇日(行集一八・一二・一五七七)等によって明らかなとおり、権利確定の意味そのものが一律に扱われてはおらず、所得源泉が事業的でない雑所得等についてはむしろ現金主義的取扱いによって損益を認識するのが正しいとされている(渡辺伸平判事、司法研究報告「税法上の所得をめぐる諸問題」八五)。

これを本件についてみると、仮に百歩を譲り守、泰奉の供述するとおりの約束がなされたと仮定しても、それは前述のとおり法外な金額であって常識的な報酬の額を越える部分はせいぜい兄弟間の利益の山分け又は贈与としての意味しか有せず、そうだとするとそれは書面によっている訳でもないから、その履行は全く不確実であり(民法五五〇条)、仮に履行するとしても履行期の定めもなければ現実に履行された部分もないのであるから、権利確定主義の内容をどのように広く解釈してみたところで、これを昭和五七、五八年の経費、雑所得とする余地はないのである(なお、相続税に関するものがあるが、贈与があったとすべき時期についての東京地判昭和五五・五・二〇《行集三一・五・一一五四》参照)

3 鶴見店、寝屋川店の売上除外金の性格、帰属

一 経営管理料に関する供述がなされた経緯について

1 以上述べたところから、本件経営管理料の約束なるものが虚偽架空のものであること及び原判決が被告人らの供述のみを鵜呑みにしてこれを認定したために、証拠上疑問の余地ない他の客観的事実との間に収拾し難い矛盾を生じていることが明白となっているが、次にそれではなぜ被告人らによってこのような虚偽の供述がなされ、公判廷でもそのまま維持されたかという点について検討する。

2 前述したとおりの一家の生活の歴史から、守は常に弟妹、就中当時幼少のための何も相続させなかった末弟泰源(現在の法人代表者)のことを考え、事業を拡張して得た利益の相当部分は泰源にやるべきものと思っていた(守の六〇年一月二一日付質問てん末書問九の答、一六七八裏、なお控訴審で補充立証する)。

更に、もともとパチンコ業界では店が繁栄するか否かは一に店員の質によるとも言われていて、店員の不正を適切に監督、防止することが経営者の最大の眼目である。すなわち、パチンコ店という営業は、多数の従業員を雇い、玉の貸出しや景品の交換等の業務を全部店員に任せ切りにする形態のもので、店員、直接にはこれを監督する店長が、僅かの才覚を働かせて不正を行う気になれば、店の経営は怱ち悪化する。そこでパチンコ業界では、優秀で誠実な店長を確保することが最も肝要であり、被告人ら一族のパチンコ店が今日まで一応隆盛の状況にあったのは、前記金海水や朴竜元らの例でも知り得るとおり幹部従業員が親族であったことが大きく貢献している(なお、控訴審で立証する)。

このような事情に基づき、守は常に母や末弟の泰源を中心とした一族のために資産を残したいと考えるとともに、事業の発展に功労のあった店長等幹部従業員に対し、従来からその退職時等にいわゆる「のれん分け」の意味で多額の退職金ないし功労金を支払うのを通例としてきた。このことは、本件の査察において税務当局が経費として是認し、原判決でもそのまま認定された次の事例、すなわち

ア 昭和四〇年から鶴見店、寝屋川店に勤務し、昭和五七年二月から同五八年六月までは法人の焼肉部門に勤務して退職した佐藤茂雄こと金海水に、昭和五八年七月から一二月までの間に合計三〇、〇〇〇、〇〇〇円の退職金を支払ったこと。

イ 昭和四〇年から鶴見店に勤務し、同四七年に一旦退職、同五三年に法人の焼肉部門に再就職し、同五八年六月に退職した田中康夫こと羅容学に対し、同五八年一一月から一二月の間に合計三〇、〇〇〇、〇〇〇円の退職金を支払ったこと。

ウ 朴八元との共同経営であった奈良店の開店以来の経営責任者(店長)であった朴竜元が昭和五八年八月に自宅を新築した際に、それまでの同人の功労に対する報酬として二五、〇〇〇、〇〇〇円を支払ったこと。

(金海水、羅容学の退職金につき、守の六〇年一月九日付質問てん末書、一六三七表ないし一六四〇表、査察官調査書《簿外退職金》、二二七ないし二三六、朴竜元の特別功労金につき、守の六〇年一月三〇日付質問てん末書、一七五七裏ないし一七六〇表、査察官調査書、一〇〇九ないし一〇一六)からも疑問の余地なく認めることができる。そして、守の側でこのような慣例を作り、一族や従業員の労を酬いるのを惜しまなかったからこそ、被告人らの事業では従業員の不正も不満もなく、円滑に商売が行われてきたと言える。

3 このような慣例に基づき、守は、大学を卒業して漸く一人前になった末弟の泰源及び昭和五九年七月に妹和子と結婚した王城店の店長木原真一にも当然相当の額の退職金ないし功労金を支給し、「のれん分け」をさせたい(特に泰源に対しては父死亡時に何も相続させていなかった代りとして相当の財産分与をしたい)と考え、同人らにも約束していたところ、昭和五六年後半からフィーバーブームが起こり異常とも考えられるような一時的な好況に遭遇したため、これを機会に法人、個人の資金を蓄積するとともに、この際寝屋川店、鶴見店の売上除外によって泰源に財産分与すべき資金及び木原ののれん分けの資金の準備もしようと思いつき、同人らにもこのことを明確に話して協力させることにした上、本件を実行した(この点は控訴審で立証する)

4 以上のような事情が本件の真実であったため、守の脳裏には、鶴見店、寝屋川店の売上除外によって蓄積された資金はもともと自己個人のためのものではなく、主として泰源と木原に分与するためのものであるとの意識が極めて強く、査察当初からこれを強硬に主張した。しかし、担当査察官から、「そのような主張は聞き入れる訳にはゆかない。しかし全部が全部自分のものではないという主張も分るから、守個人の店二軒分の売上除外額の半分は弟の泰奉に割り振ってやる。そうすれば、泰奉はもともと従属的な立場で犯情が軽いから多少金額が多くても二人ともうまく納まる。」と言われ、折角そのように言ってくれるのを無視して余り強硬に帰属を争って査察官の心証を害し却って不利益を招来しても困ると考え、その示唆するところに従い、「泰奉に対する経営管理料」なるものにそのまま乗りかかることにし、この部分の所得にはもともと無関係であった泰奉をも納得させた上自己の前記主張を撤回し、捜査、公判を通じて本件のような態度に出たのである(以上の点は控訴審で立証する。)。

5 右の点に関し、あるいは「経営管理料の約束なるものが虚偽であるということは事実かも知れないが、それが査察官の示唆や説得によるということは信用できない。査察官がそんなことを言う筈がない。それは、守の刑責の一部を弟であって立場が軽いと見られる泰奉にかぶせ、二人とも助かろうとするために兄弟二人が案出し、査察官、捜査官を欺瞞した工作に過ぎないのではないか。」という反問がなされるかも知れない。しかし、既に述べたとおり本件経営管理料なるものをそれぞれの経費、所得として認めた処理は、およそ税法の理論、常識を逸脱した異常なものであって、若し課税庁側が自らこれを敢て是認しようとする態度にでない限り、如何に被告人らが口うらを合わせ、関係者に作為を加えてこれを主張しようとも認められる筈のないものであることが明らかであるし、前述の退職金や特別功労金なるものも、以下に述べるとおり税務当局と被告人らとの間にある種の妥協がなければ到底是認されることがあり得ない処理であるから、この点からみても被告人らの工作によって税務当局や検察官が欺まされたとみる余地はない。

以下、この点を指摘する。

二 退職金、特別功労金の処理について

1 まず第一は、本件で何の疑問もないかのように法人や守の事業経費として認容されている簿外退職金(法人に関する原判決の昭和五九年三月期修正損益計算書の給料手当欄、守に関する原判決の昭和五八年分修正損益計算書の給料賃金欄参照、証拠は前記金海水、羅容学の簿外退職金の項に引用したとおり)である。

証拠によれば、佐藤茂雄こと金海水は守の従兄弟であって、昭和四〇年頃から主として鶴見店に勤務し、最後は法人の焼肉部門に身分を移した後昭和五八年六月に退職したもので、被告人らの事業に永年功績があったことは事実であるが、これに対する退職金は退職直後の同年七月に一〇、〇〇〇、〇〇〇円を支払い、その二か月後に金海水が焼肉店を開く資金の相談に来たために、法人の専務取締役である泰奉には内緒で一〇、〇〇〇、〇〇〇円を追加して支払い、更にその三か月後の同年一二月三〇日に金海水が焼肉店の設備資金や退職資金に困っていると聞き、やはり泰奉に内緒で一〇、〇〇〇、〇〇〇円を支払ったというものである(前記守の質問てん末書、一六三七表ないし一六三九表、査察官調査書、二二七ないし二三〇)。

また田中康夫こと羅容学は母方の叔父であって、やはり昭和四〇年から鶴見店に勤務し途中一時退職した後再就職し昭和五八年六月に法人を退職した者であるが、同人に対する退職金は、同人が居宅を購入するという理由で同人が法人の寮に居住している間は支払わず、退職後五か月も経過した同年一一月になって同人が購入すべき居宅を見付け、その購入資金の相談を持ちかけてきてからはじめて二〇、〇〇〇、〇〇〇円を支払い、更にその二か月後の同年一二月三〇日、同人が開店した焼肉店の設備資金、運転資金の相談を受けその資金として一〇、〇〇〇、〇〇〇円を、「これで終りだからと念を押して」支払ったと言うものである(前記守の質問てん末書、一六三九表ないし一六四〇表、査察官調査書、二三一ないし二三二)。

2 ところで、言うまでもないことであるが、退職給与とは従業員に対し、その退職を起因として一時に支払われる給与の一種であり、(犯罪等によるものではないという)一定の要件を満たした退職の事実さえあれば、勤続年数や在職中の給与の額等によって退職給与の金額も当然に確定し、それ以上その支払について特段の条件が付されることのない性質のものであって(最判昭和五八年九月九日《判時一〇九三、六五》なお所得税法三〇条に関する基本通達参照)、いやしくも退職者本人にさえその金額が明示されず、支給時に「これで終りだぞ。」と念を押さなければならなかったり、あるいは雇主に資金の余裕がないというような事情が全くないのに支給の時期が雇主側の恣意によって分割され、しかも退職後長期間を経て後に退職者が家を購入したり店を開いたりあるいは事業資金に詰ったりする都度小出しにして支払うというようなことがあり得る筈がないし、更に金額についてみても従来税務訴訟においてこれを支給する側の法人の損金として認めるべきか否かに関してその金額の妥当性を争われた幾多の裁判例(大阪地方裁判昭和四四年三月二七日《訟月一五・六・七二一》、東京高判昭和四九年一月三一日《訟月二〇・六・一七二》、東京地判昭和四九年一二月一六日《税訴資七七・六七五》等)に照らし著しく高額であって、仮にこれが通常の事件における法人の役員に対するものであれば、おそらく法人税法三六条や場合により同族会社の行為、計算の否認に関する所得税法一五七条、法人税法一三二条の問題を生ずるであろうことは論を俟たず、このようなものがすべて退職金として損金性を認められた事例は寡聞にして未だ知らない。

3 次にこれより更に奇異な感を免れないのは、奈良店の朴竜元に対する特別功労金二五、〇〇〇、〇〇〇円である(原判決の守に関する昭和五八年の修正損益計算書の雑費の欄)。

この特別功労金とは、要するに「奈良店は開店以来朴竜元に管理を委任し、私(守)は主として分配金を受取っていただけでしたので、かねてから朴竜元に何らかの報酬を支給したいと思っていました。たまたま朴竜元が昭和五八年八月に居宅を新築することになり、その資金を私に相談してきましたので今までの奈良店の管理を委任していた報酬の意味を含めて二五、〇〇〇、〇〇〇円の特別賞与を支給することを決め…共同経営者である朴八元には相談せず、私だ単独で…」というものである(守の六〇年一月三〇日付質問てん末書、一七五九、査察官調査書一〇〇九以下)。これも守自身が前記のとおり「今までの奈良店の管理を委任していた報酬の意味を含めて」と言っていること、同店は持分二分の一ずつの完全な共同経営でありながら、その一方の朴八元には無関係に守のみが自己が分配を受けた公表、簿外の利益から支出していることや、証拠の面でみても、朴竜元は最後まで守から貰ったとは供述せず却って「母の預金である。」と強硬に主張していること(朴竜元の質問てん末書、一五一一、一五一三裏)、また守らの簿外預金からの支出の事実も確認できず、極めて不自然であること、それに何よりも、二五、〇〇〇、〇〇〇円という金額は、守が五八年中に受けた奈良店の分配金(公表分七、三一七、五二〇円、簿外分一八、〇〇〇、〇〇〇円、合計二五、三一七、五二〇円…査察官調査書三九五)とほぼ同額であって、従来のこの種事例の金額の妥当性についての裁判例に照らし著しく不当であるどころか、要するに奈良店の利益をすべて朴竜元に転嫁したものとしか見られないこと等からみて極めて異常である。

4 もともとある支出が必要経費として控除されるためには、それが事業活動と直接の関連をもち、事業の遂行上必要な支出でなければならないが、その必要性の認定は、関係者の主観的判断ではなく、客観的な基準によらなければならない(金子宏「租税法」一七八頁)。また、その判断に当たっては、その法的形式の外面に捉われることなく、当該企業の実態を解明し、問題の支出が企業の経営において果たす役割ないし機能を実質的に把握考察して決すべきものと解される(昭四〇・一〇・二一東京高判、行集一六、一〇、一六五〇)。右の特別功労金のような取扱は、仮に守が一方的に主張したところで査察官がこれを認める筈がなく、従来の取扱例や裁判例によれば、その相当部分の経費性が否定されるであろうことは明らかである。このように、本件全体を通じ、特に守の事業の経費の認定に関し、一般の税務の取扱いからかなりかけ離れた妥協的な処理がなされていることは蔽い難い事実であり、これが前述の経営管理料の問題に、最も露骨にあらわれているのである。

この点に関しては、あるいは「守が泰源や木原のために資金を蓄積したと言ったところで、それはそう考えていたというだけではないか。そのことと、泰奉との間ではっきり契約された経営管理料とは同日の談ではない。」という議論があるかもしれない。しかし、守、泰奉間の契約なるものが虚偽架空のものであることは既に検討したところによって明らかであるし、仮に同人らの査察官調書の記載をそのまま取り上げることにしたところで、その内容はおよそ契約と呼べるようなしろものではなく、要するに「半分はお前のものにしようか」という兄弟間の内輪話以上のものとは解し得ない。そのことと、常々泰源や木原に財産分与、のれん分けをすると言い、同人らもその気になって働いていた(この点は控訴審で立証する。)ということとの間には些かの径庭もない。経営管理料を経費として認める立場に立つ限り、泰源、木原らに関する被告人の主張は到底無視できない。

三 本件の捜査経緯に関する疑問について

1 以上述べるところは次の捜査経緯からもこれを十分にうかがうことができる。

本件の強制捜査の着手は昭和五九年六月二一日であって、その当日守の自宅で本件の証拠の中核とも言うべき王城店、寝屋川店、鶴見店、東大阪店の昭和五七年一月以降の売上除外額を記録したメモが差押えられ(査察官調書、三七六以下等)、これによって右両年の売上除外の規模、内容はすべて明らかとなったのであるが、記録にあらわれている範囲で以後の査察官による守、泰奉の取調べ、これに対する両名の供述の内容をみると、守の質問てん末書は、昭和五九年中に六月二一日、六月二七日、九月一三日、九月一八日付の四通があるが、この間最も大きく、場合によっては兄弟間の帰属の問題とも解せられ、本件の最大の問題である筈の経営管理料については一切触れられておらず、昭和六〇年に入って更に一月九日、一月一八日、一月二一日付けの三通の質問てん末書が作成されているのにそこでもこの問題には言及されず、漸く一月二八日付の質問てん末書において、唐突に「私が既に貴局の質問に述べたように」という前置きのもとに昭和五七年一月の泰奉との約束なるものについての供述が出てきている(守の六〇年一月二八日付質問てん末書、一七〇六裏以下、なお前記各質問てん末書参照)。しかし、それ以前の日付のその質問てん末書を精読してみても、これについて「既に述べた」部分は見当たらず、その直前の六〇年一月九日付質問てん末書の問二の答により、守がそれ以前に約六〇〇、〇〇〇、〇〇〇円の簿外経費の主張をしていた事実がうかがわれ(同質問てん末書、一六三六裏)、同日及びその後の一月二一日付質問てん末書の問九に対する答により、守がそれ以前に所得の一部を泰源に分配するつもりであったと強く主張していたことが見え隠れしているのみである(同質問てん末書、一六七八裏)。そして、右の一月九日及び一月二一日付の二通の質問てん末書により、それまでの種々の簿外経費の主張が撤回され、前記の不思議な退職金等の主張が新たに整理されて供述されている。

2 一方、経営管理料を受ける側の泰奉の質問てん末書についてみると同人の質問てん末書は、昭和五九年九月二八日、一一月二九日、一二月一八日六〇年一月二二日、一月二五日付の五通が提出されて取調べられているが、経営管理料について明確な供述としては一月二二日付前(昭和五九年一〇月一五日と考えられる。)に法人の売上除外金までを折半するというような誤った供述がなされた事実の存在がうかがわれるにすぎない(泰奉の六〇年一月二二日付質問てん末書、一九二一以下)。

3 以上の経過からみれば、経営管理料については、表面的には昭和五九年一二月以後特段の問題もなく被告人ら兄弟から供述が得られ、簡単に確定されたかのように立証されているが、これまで指摘したようなこれら質問てん末書の処々にあらわれている訂正供述などを総合してみれば、守が査察着手以後六〇〇、〇〇〇、〇〇〇円に上る簿外経費(これがおそらく本件で立証されていない簿外資産増加額と検察官が採用した立証方法である損益計算方によるほ脱所得との不突合額に対応するのではないかと推認されるが、この点は控訴審において前記公判提出記録に引用されながら不提出となっている質問てん末書や、各被告人の事業の店主勘定の内容の開示を求めることによって立証する)を主張したり、特に泰源に対する資産の分与、所得の帰属を主張し、最終的にこれが「経営管理料」によって妥協が成立することになって守がそれまでの主張を初めて撤回し、かつ前記異例とも言える程高額で、経費性についても甚だ疑問の多い退職金や特別功労金が一挙に認容されたという査察、捜査の経過が明らかになってくるのであって、このようにしてはじめて本件被告人らの供述の流れ、変遷、の因って来たる所以を良く了解することができる。

四 結論

以上詳述したところにより、守の個人事業に関する経営管理料、簿外退職金、簿外特別功労金の各処理が異常かつ不合理であることが明白となった。

しかし、このように言ったところで、結論としてこれらの支出を守の所得に加算するのはやはり正当ではなく、それは会計処理の方法の当否はとも角、守の事業所得の計算上収入から減額すべき金額とするという限度においては誤っていない。問題は、本件で何故このような妥協的な処理がされざるを得なかったか、減額すべきものは果してこれだけかと言うことであり、これを明らかにすることによって経営管理料に象徴される本件の問題点が明らかになるのである。

所得税法違反事件をみると、本件のように親族が共同して事業を経営していて、営業名義の点は別として、実質的にはその所得の帰属が必ずしも一義的に決め難いものは少なくないし、これに事業の数が複数であったり、個人類似法人が絡んだりして、問題を更に複雑にしているものも決して珍しくなく、これに関する裁判例も多い。もともと事業の経営は複雑多様な経済活動の集合であるし、所得の概念については税法に明確な定義規定がある訳ではなく、その内容や帰属は、このように複雑多様な経済活動に即し、税の公平負担の原則に基づく目的論的解釈により一般に公正妥当と認められる会計基準等を参考にしながら慣習や条理によって補って決定しなければならないのであるから、一義的に決め難いのはむしろ当然のことである。本件法人、個人の事業は、まさに右に述べたとおり沿革的にみてもまた、事業経営のやり方、資金の管理運用面からみても、被告人ら一族全体の共同の事業であり、事業から生ずる収益は、営業名義や法律上の所有名義の如何を問わず、要するに一族全員に帰属するという性格が極めて強いものであった(法人の収益が法人に帰属するのは当然のことであるが、本件のような個人類似法人ではやはり実質的にこれを支配する個人を考えなければならない。)。

もとより、通常の個人事業でも家族全体的な色彩は多かれ少なかあるし、本件で納税義務の主体、所得の実質的帰属主体は誰であるかと問えば事業用の資産の法律上の所有名義、営業名義等をまず一応の基準とし、王城店は法人、寝屋川店、鶴見店は守、東大阪店は泰奉と答えざるを得ないかも知れない。しかし本件では、前述のとおり一族の結合が特に強く、父死亡後守が兄弟に相続もさせず、長兄として一族のあらゆる面倒を見て来たという韓国人特有の風習、伝統が極めて強い底流となっているために、通常の個人事業とも異なる経済行為が随所に行なわれていて、これらを虚心に通覧すれば、そこにやはり「本件ほ脱所得の相当部分は、一族全部、特に当面は財産分与をして独立させなければならない泰源と、のれん分けをさせる約束をしている木原らのものであって、自分一人のものとは考えていない。」という守の当初からの主張に無視し難い真実が認められ、これを一概に排斥し得ないために、査察官、検察官も守の支出の中から事業経費として認容すべきものを取捨選択するに当たり、異常と言うほかはない取扱いをせざるを得なかったのである。経営管理料は、形の上では守の事業経費とされているが、その中身は、いやしくも個人の事業である二店の売上除外金全部について二分の一という割合でこれをそっくり泰奉に移すというのであるから、結局それは所得の帰属の問題の解決に技巧を凝らし、経費という衣をまとわせたにほかならない。また前述したとおり、朴竜元の特別功労金は、まさに昭和五八年の奈良店からの所得全部をそのままそっくり特別功労金の名のもとに同人に移してしまったものであって、それはこの部分を朴竜元に帰属するとしたのに同じである。結局本件では、ほ脱所得の帰属について拭い難い不明瞭な部分があり、そのことが個々の経費項目の判断、処理に強く影響して来ているのである。退職金や特別功労金は、いずれにしれも結果としては守の所得から減算するだけのことであるからそれでもよいのかも知れない。しかし、経営管理料は、本来泰源や木原に帰属せしめるべき金額を適当に見積り、しかもこれを無関係な泰奉にかぶせ、その刑責を加重することによって解決しようとしているのであるから、到底放置する訳にはゆかない。

五 経費の認定漏れについて

守の事業経費が原判決で認容された範囲で尽きるものでないことは、守の検察官調書の記載、公判廷における供述(二二六丁の一八三四表ないし一八三六裏、二二七丁の五五裏ないし五八表、八七表ないし八八裏)や前述した約六〇〇、〇〇〇、〇〇〇円の簿外経費の主張が撤回された事実(六〇年一月九日付質問てん末書一六三六裏)からも十分にうかがい知ることができる。守の前記検察官調書には「いずれにせよこれらの支払いを今更簿外経費として認めてくれたなどと申しているのではなく、結局当局が認めた簿外経費の範囲で納得しております。」と記載されているが、前記供述の変遷の項で検討したとおりこれは前記不合理な経費認容と引き換えになされた疑いが濃厚であるから、これを額面どおり受け取ることは正当ではない。内容的にみても、このようにして撤回されたと思われる納税経友会関係のその他の支出、韓国の政治家に対する献金等は、日本国民と異なり法制度上も経済的にも種々制約が多く著しく不利益な立場にある在日韓国人の企業主が円滑に事業を行い、収益を上げるためには必要な支出というべきであり、少なくとも、永年誠実に勤務したからというだけの理由で、まだ退職したわけでもない朴竜元に対し、自宅建築のための資金として年間の公表、簿外の利益配分金の全部に相当する金額をいわば掴み金のような形でやった特別功労金に比較すれば、事業経営に対する関連性、必要性、支出の合理性ははるかに高いと言わなければならず、右特別功労金を経費として認容する原判決の立場からみれば、これを認容しないことはまことに首尾一貫しないとの謗を免れない。

原判決はこの点においても明白な誤りを犯している。

第三 被告法人に関する事実誤認について

前記のとおり簿外経費について認容漏れがあることは明らかであるが、その中に法人の負担分が存在することも言うまでもないから、原判決の認定した法人の罪となるべき事実も誤りがあることに帰着し、これが判決に影響を及ぼすことも明らかで、原判決をそのまま維持することは出来ない。

第四 被告人金守に関する量刑不当について

一 原判決は、本件の犯情についてほ脱額が巨額であること、ほ脱率が高率であることと動機が私欲のみを追及しあるいは同業者全体で脱税を計ったと評価し得るものであることを挙げ、犯情悪質として守に対し懲役一年六月の実刑及び罰金七〇、〇〇〇、〇〇〇円の判決を言い渡した。

しかしながら、以下に述べるとおり原判決の右量刑は、特に懲役刑につき実刑を言い渡した点において著しく重きに過ぎ不当であって破棄を免れない。

二 本件犯行は、まず動機において酌量すべきものがある。

原判決は、守らが不況時に備え、好景気の際に事業資金を貯えようとしたことは要するに自己の利欲のみを追及したことに帰するものであり、また同業者間における納税申告率の平均化を図ろうとしたことは、結局同業者全体で脱税を計っていたとも評価し得るものであっていずれも酌むべき事情とはなり得ないとしている。しかし、これはまことに皮相的な見解と言わなければならない。

1 まず、前段についてである。確かに、自己の事業資金を蓄積しようとすることが私欲のみを追及することに他ならないのは言うまでもない。しかし、そのようにみれば、およそ脱税にして私欲に出たものでない事件はない。問題は、何故守らが私欲を追及したのか、そこに同情すべきものは少しもないのかということである。既に述べたとおり、守らは証人李煕健が述べているとおり、一般国民と異なり、資金調達のための金融の便を阻まれているのを始め、種々の制度上及び事実上の不利益のもとに事業経営に苦心している(二二七丁の九裏ないし一一表)在日韓国人であって、自分自身以外に何一つ頼るもののない境遇である(守の検察官調書、一七九九裏、一八〇七裏ないし一八〇八裏)。このような辛酸を舐め尽くして成長してきた被告人が、一時の異常な好況に接し、これが短期間で終わることを予想し、将来に備えたいと考えたとしても、それが違法であることは言うまでもないが、遊興や贅沢を目的として同じように脱税を企てる多数の同種事件に比して特に犯情悪質であると考えることはできないのではないか。このことは、本件によって蓄積された簿外資金の使途を克明にみても、女性関係は勿論のこと、遊興の片鱗をもうかがうことができない事実によっても十分に知ることができる。なお、ここで一言すべきは右簿外資金の使途のうちの韓国の政治家に対する献金などである(守の検察官調書、一八三五裏、同人の六〇年二月一日付質問てん末書、一七七五)。これらが前記特別功労金に比較すれば、むしろはるかに経費としての性格をより濃く備えているものであることは前述したが、仮にその点を暫く措くとしても、守は在日韓国人という枠の中で陰に陽に同国人の協力の下で事業を営んでいるのであるから、一応の成功者としてこれを円滑に維持するために自国の政治家等に献金することは、在日韓国人の事業活動を認める限り必要止むを得ない面もあると考えなければならない。原判決もそこまでは言っていないが、若しこれを我国の租税債権の犠牲のもとに自国の利益を図ったものと目するようなことがあれば苛酷に過ぎるというべきであろう。

2 次に同業者との関係である。

この点に関する守の主張は、要するに「同業者も皆、正直には申告していない。自分だけがまじめに申告すればその金額は突出したものになり、それによって言外に同業他者が脱税していることを通報する結果になるからそれができない面もあった。」というのであって(守の公判供述、二二七丁の五〇裏)、同人の検察官調書の中に再々現われている「世間並みの申告」、「世間並みの税務署に睨まれない数字」(一八〇三表、一八〇五表等)という言葉は、これを別の言い方で表現しているに過ぎない。

およそ申告納税制度のもとにおいて、すべての納税者が正確に自己の所得を申告する義務を負うことは当然であるが、現実にはそれは殆んど期待し得ず、税務当局の調査の能力にも限界があるため、税務当局は公表こそしていないが、業種毎に標準率と呼ばれるものを一応の基準とし、これにもとづいて業界に対する指導等が行なわれていることは公知の事実であるし、これは推計課税に関する所得税法一五六条の「生産量、販売量その他の取扱量、従業員数、その他事業の規模により」との規定の解釈からも当然認められているところである(租税法研究会「判例所得税法」二-A 二〇三二、なお、同条は青色申告書の提出者に適用されないことは言うまでもないが、実際の税務行政における指導では、青色申告書の提出者もこれを参考にしていることは経済界の周知の事実である)。被告人の前記主張は、このような実情を前提とし、税務署、同業者間で事実上納得承認されている数字を大幅に上回る申告は、同業者の手前からも困難であったといっているのであって、同業者との協調を無視しては生活していけない小企業者の立場としてまことに無理からぬものがあると言わなければならない。それにもかかわらず、これを以て「同業者全体で脱税を計っていた」と評するのは被告人の供述を曲解するものであるのみならず、現行徴税制度の欠陥自体を被告人に帰責せしめるものと言っても決して過言ではなく、このような見解には左袒し難い。

三 次に、ほ脱所得、ほ脱税額が極めて多額であるという点は原判決指摘のとおりである。しかし、それは守が再三述べているとおり、昭和五六年後半から始まったフィーバーブームが守らの予想をも遥に越える異常なものであったことと、守の見通しによればこのような異常なブームが長続きする筈がなく、近い将来必ず警察の規制を受ける等して不況が到来すると考えられたことから、この一時的かつ異常な好況による資金を蓄積し、将来にわたって事業経営を安定させようと考えた(守の検察官調書、一八〇一表ないし一八〇二裏、一八〇七表ないし一八一二表、同公判供述、二二七丁の四八裏ないし四九裏)ことに主たる原因があるのであって、守がもともと納税義務を無視する態度や性向を有していたからではない。このことは、フィーバーブームが巻き起こる以前の昭和五六年前半までの法人や守、泰奉の事業における売上除外なるものがいわば小遣稼ぎ程度の規模であって、申告状況は決して不良なものとはいえないこと、四店の実際の売上高、同除外額の推移をみても、守の供述するとおり売上高の異常な上昇は昭和五六年後半から五七年にかけてがピークであり、五八年には既にかなり下降傾向を辿っているのが明白に看取し得ること、予想どおり昭和六〇年に入って規制が実施され、ブームが去ったこと等の事実によって十分に裏付けられている。つまり、本件でほ脱所得、ほ脱税額が極めて巨額になっているのは、守が一時的かつ異常な好況に遭遇してこの期間中熱に浮かされたようになり、自制心を失ったことに由来しているもので、それは決して同人の本来的な悪性を示すものではない。そして、その点については、同人は深く反省し、本税、加算税を全額納付し、改悛の情が顕著に認められるのであるから、この点をもって重刑を科する理由とするのは正当ではない。

四 第三にはほ脱税率が高いという点であるが、これも事実としてはそのとおりである。しかし、これまでの多数の裁判例によって明らかなとおり、ほ脱率はおおむね事業規模の大小によって定まる。事業規模が大であれば相当高額の所得を秘匿してもほ脱率は低いし、規模が小さければ勢い高率とならざるを得ない。

そして、本件は左記に述べたとおりの一時的かつ異常なブームにより、守らの事業規模からみて不相応とも言える売上の急上昇があったために発生した事実であるから、本件のほ脱率が高いことは主としてこのような外部的事情に誘発されたものとみる余地も十分にあるのであって、これを本件の悪性の徴表として重視するのは当を得ていない。

五 本件守の個人事業におけるほ脱所得の中心をなす売上除外金が、泰源及び木原に帰属すると見るべきものであることは前述のとおりであるが、仮に税法上の取扱いとしてはこれが認められないとしても、その実質的な性格には変りはなく、まだ実際には泰源らに対する分配が実行されていないという差はあるが、その性質は前記金海水らに対する退職金、朴竜元に対する特別功労金と選ぶところはない。尤も、仮にこのようなものを守が適法に留保し、将来の支出に備えようとするのであれば、所得税法、法人税法に定められる退職給与引当金設定の条件を充足した上、利益の多寡にかかわらず、毎期一定額を積建てる方法によらなければならず、利益が急増したからといって、特定の2~3年間に集中して留保することが許されないのは言うまでもない。しかし、経営そのものが必ずしも近代化、合理化されていない個人経営の小企業において、税法の要求するような就業規則等を完備するように要求することは不可能を強いるものであるし、やはり実質に即して考えるべきであり、守が本件のような仕方で利益を留保したことにも酌量すべきものがあると言わなければならない。

六 およそ人を処断するに実刑を以てする場合には、その事実認定には一点の疑惑をも容れる余地のないものでなければならない。従来、いわゆる脱税の処罰の本質は、国庫に損害を与える不法行為に対する損害賠償であるとする考え方が強く、そのため犯罪事件の認定、すなわち所得の計算にも一般刑法犯に比して厳密さが欠け、ややもすれば当事者が納得しさえすればある程度の妥協も止むを得ないかのような民事的、行政的色彩の強い処理がなされる憾みがないとも言い切れなかった。しかし、近時脱税犯の一般刑事犯化の傾向が顕著となり、それに従い科刑の面の厳罰化も著しく、昭和五五年以来、それまでは例を見なかった懲役刑の実刑判決も稀ではなくなってきている。脱税犯処罰の本質に対する観方のこのような変化自体については弁護人も敢て反対するものではないが、そのように取り扱うのであれば事実の認定、そのための証拠の評価も一般刑事犯のそれと符節を合わせた厳格なものでなければならない。いやしくも、脱税犯について一般刑事犯と同様な高度の違法性、社会的非難に値する実質的可罰性があるとし、これに即した制裁を徹底する以上、所得の計算においては罰金刑を主たる眼目とした国庫に対する損害賠償説当時のように行政的色彩の強いいわばルーズな取扱いを維持しながら、刑の量定においてのみいたずらに厳罰主義をふりかざすことはできない。ところが本件においては、実質的な所得の帰属について強い疑念が残り、これを営業名義に従って一義的に区分することに躊躇を感じざるを得ず、そのため経費の取り扱いにおいて敢て理論を曲げた妥協的、便宜的な処理がなされるに至ったことは、事実誤認の項で詳述したとおりであって、いわば本件の罪となるべき事実は疑問の部分を突き詰めて解決しないまま一応の納得を求めた妥協の産物である。尤も直接違反事件は、数年という期間にわたる事業活動に基づく損益につき、一定の会計技術に従って計算するものであるから、どのような事件であっても多かれ少なかれ擬制的、推計的な要素がつきまとうのは免れ難いが、本件で指摘している問題はそのようなレベルを遥に超えている。このように不明確な要素を多く残したままで、被告人に対し原判決のように重い実刑を科することは決して被告人を真に悔悟せしめるものでもないし、他戒の効果もないと考える。

第五 結論

以上詳述したとおり、被告人金守に対する原判決は、事実認定の面でも量刑の面でも到底維持されるべからざるものであり、被告法人に対する原判決も判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるから、いずれもこれを破棄し、更に適正な裁判を求めるため本件控訴に及ぶ次第である。

以上

○ 控訴趣意補充書

法人税法違反 泰斗興産株式会社

法人税法違反、所得税法違反 金守

右被告事件について、当審で新たに取り調べられた金泰奉及び被告人金守の各質問顛末書によって明らかになった事実に基づき、控訴の趣意を左記のとおり補充する。

昭和六三年三月七日

弁護人 長谷部成仁

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

一 経営管理料について

経営管理料について、控訴趣意書で指摘した原判決の誤りは、当審で新たに取り調べられた金泰奉及び被告人金守の各質問顛末書によって、以下に述べるとおり、更に疑問の余地がないところにまで立証されている。

1 第一に「経営管理料の約束」の内容についてである。

今回取り調べられた質問顛末書をみると、このような話が兄弟間にあったということについては、守も泰奉も同じように昭和五九年一〇月一五日の査察官の質問に対してこれを供述している。これは守が当審の公判廷で述べているとおり、一旦兄弟全体のものであることを主張して査察官から却下され、「せめて実際に経営に関与していた泰奉との分配の約束なら考慮できるかも知れない。」といわれて提出した弁解であるが、それだけにその内容をみると、控訴趣意書で既に指摘しておいた矛盾や疑問が極めて露骨な形であらわれている。

2 まず、分配の対象は何かという点である。守は「昭和五七年一月二日伏見稲荷の帰りに、王城ビルの社長室で、私と弟が昭和五七年一月から東大阪店を除く三店の売上除外額を二分の一づつ分け合うという取り決めを口頭でした。」と述べ(問二以下)ている。これに対し、泰奉は「昭和五七年の正月二日に王城ビルの社長室で、社長にフィーバーブームで金が溜まりそうなので、東大阪店を除く王城、寝屋川、鶴見三店分の売上除外金でできた簿外預金、これから発生するものも含めて半分を私にくれないだろうか、と申し入れたところ、社長が口頭で了承してくれた。」(問四)、「東大阪店は私の経営だから売上除外金は私のものだ。折半するのは王城、寝屋川及び鶴見店の三店分の売上除外金でできた簿外預金及び昭和五七年一月以降にできる簿外預金のことである。これらのことは、社長も昭和五七年正月二日に了承している。」(問六)と述べている。つまり、守の供述によれば、折半の対象は「昭和五七年一月以降の法人を含む売上除外額」であり、泰奉によれば「これまでにできた法人を含む三店の売上除外による簿外預金及び今後できる簿外預金」だというのであって、対象とする年度も分配の対象も全く一致していない。

これらの食い違いのうち、「売上除外額」自体か、それとも「売上除外によってできた簿外預金」かという点は、既にそのような食い違いがあることが原審記録によって明らかであったので、控訴趣意書で指摘しておいた。しかし、それ以外に兄弟の供述の間には、「昭和五七年一月以降分」のみを対象とするのか、それとも「昭和五六年以前の分」も含むのか、という根本的な食い違いがあったことは、今回開示されて取り調べられた質問顛末書によって初めて判明するのである。もっとも泰奉の供述は、その後の昭和六〇年一月二二日付質問顛末書問八、問九(記録二二六丁の一九二〇以下)に至って突然変化し、守が所持していて差押えられた昭和五七年以降の売上除外メモと関係させ、分配の対象年度は当然昭和五七年以降であるかのように変化している。しかし、売上除外メモがあったからといって、これは分配金の計算、その履行には何の役にも立たないのであるから、このようなものが隅々廃棄されずに残っていたことは右のように、重要かつ根本的な供述変更の理由の説明にはならない。

3 次に、守、泰奉のこの段階の供述によると、分配の対象として、やはり法人の王城店までが入っていたことが一段と明瞭になっている。原審の記録のみでも、控訴趣意書で指摘したとおり、経営管理料の話は、当初は法人も絡めて折半するような内容であったであろうと思われる痕跡があったのであるが、被告人ら兄弟の一〇月一五日付の各質問顛末書(特に守の問一二及び昭和五九年九月五日付質問顛末書の問四)によって、やはり当初は法人、個人の区別などなかったことが疑問の余地なく明らかになった。このように、法人まで含めて考えるのは、控訴趣意書でも触れたとおり、もともと全体の事業を一族のものと考え、これを「親族間で配分する。」という発想で経営しているのが実体であったからであろう。

それなら、話として筋が通っていると言える。つまり、被告人ら兄弟の本来の考え方は、まさにこれらの新しい質問顛末書が開示される前に、弁護人が控訴趣意書で主張したとおり、「昭和五六年後半からフィーバーブームが発生し、予想をはるかに越えた利益が出始めたから、この機会に本来親族全体のもので従来から兄弟で分けようと言っていた利益を、泰源も含めた兄弟のために留保しよう。」というだけのものであった。だからこそ、守は「末弟泰源の利益分配も約束した。」(昭和五九年一〇月一五日付質問顛末書、問四)と述べているのである。しかし、このような主張は、昭和五九年一〇月一五日の段階では、査察官の取り上げるところとはならなかった。これは、以下に順次述べる各項目、即ち、兄弟間の区分計算方法について話合いができているのか、履行期の定めはどうか等の点についての質問顛末書の内容、特に、査察官の追及の仕方で明らかなとおり、「契約」という形では内容が明確に確定したものとは言えない形であったからである。それが一転して昭和六〇年一月二八日付の質問顛末書(記録二二六丁の一、七〇六裏以下)において「経営管理料」というもっともらしい名前が付けられ、査察官側の主導のもとに、分配の対象事業、対象年度等を一応整理して再登場するのであるが、このような査察処理の方針の転換の理由は、上述したところからのみでも既に明らかであると言えよう。

4 第三に、これも控訴趣意書で指摘した点であるが、分配の対象を「売上除外金」そのものとしても、あるいは「売上除外金によってできた簿外預金」とするとしても、どのようにすれば折半の計算が可能かという問題である。守の一〇月一五日付質問顛末書の問一五、一六、泰奉の一〇月一五日付質問顛末書の問三、六ないし一〇を見ると、査察官自身が既に指摘した数々の疑問点、すなわち、

(一) 東大阪店を除く三店(ここではまだ法人の王城店が含まれている話であるから)の「売上除外金からできた簿外定期預金」なるものがどうすれば区分できるのか。

(二) 簿外定期預金に到達するまでに抜けた金額をどのように計算するのか。その各店別の金額をいくらとするのか。

(三) 抜けた金額は、誰が何のために費消したのか。

(四) 昭和五七年一月以降の分のみを対象とするなら、昭和五六年末現在の残高、すなわち、期首金額をいくらとみるのか。

等について、種々角度を変えて被告人ら兄弟に問い訊した結果、結局何もわからない状態であるのを認識させられていることが鮮明に浮き彫りになっている。だからこそ、結論としては、「私としては社長を信頼して実際にもらえる金額が東大阪店の売上除外分全部と王城、寝屋川、鶴見の三店分の売上除外分との合計であると思わざるを得ません。」(泰奉の一〇月一五日付問八)とか、「……簡単には区分できません。私としては、『メモ』に記録した各店の売上除外額を基にして、弟と相談して計算しようと思っています。」「私及び弟が売上除外金から費消した金額や母へ手渡した金額の計算が難しいので、これらについても今後弟と話し合うつもりです。」(守の一〇月一五日付質問顛末書問一五、一六)という言い方にならざるを得なかったのである。このように見てくると、昭和六〇年一月二八日付の守の質問顛末書(記録二二六丁の一七〇六)の「昭和五七年分及び五八年分の所得税申告時までには、各年分の両店の売上除外額及び簿外経営管理料として、私から弟に支払うべき金額を私がメモから計算して私から弟に通知していました。」という記載がいかに作為的なものであるかがよくわかるであろう。

5 次に具体的な履行の方法についてであるが、これは前述したところから既に明らかなとおり、基本となる金額さえも確定できないのであるから、履行する術がある筈がない。仮に金額を決めて守のB/Sの上でこれを未払金に計上するとしても、履行期もわからないのであるから短期か長期かも決定できないではないか。このようなことで、原判決が援用する権利確定主義の用件を充足せしめる事実が一体どこにあるのであろうか。これらの質問顛末書が若し原審で取り調べられていたら、どのように理由をつけようとも原判決のような認定はできなかったであろう。これ程までに恣意的な処理や認定は許されず、結局本件の実体は一旦「経営管理料」認定前の状態に立ち帰り、すべての証拠を虚心に見直す以外には解明できないのではないか。

二 被告人守の経費について

1 原判決(訴因も同じ)は、被告人守の個人事業の簿外交際接待費として

昭和五六年…………一〇、〇〇〇、〇〇〇円

昭和五七年…………二八、五〇〇、〇〇〇円

昭和五八年…………三三、〇〇〇、〇〇〇円

を認容している。これは守の昭和六〇年一月九日付質問顛末書の「寝屋川遊技業組合の組合長として昭和五七年にはハワイ旅行、昭和五八年にはアメリカ西海岸旅行を主催し、組合長の立場で追加の飲食代金や、二次会の費用、関係先への土産代等を負担し、簿外資金で支払った。昭和五七年分は三、五〇〇、〇〇〇円、昭和五八年分は八、〇〇〇、〇〇〇円である。」という記載(記録二二六丁の一六四〇裏ないし一六四二裏)及び「寝屋川遊技業組合や枚方納税経友会の運営に関し、一回平均三〇万円くらい、月六回位の接待をした。これは年別にみると業界の状況によって差があり、昭和五六年は一〇、〇〇〇、〇〇〇円、昭和五七年は二五、〇〇〇、〇〇〇円、昭和五八年は二五、〇〇〇、〇〇〇円くらいになる。」との供述(同丁の一六四二裏ないし一六四三表)をそのまま採用し、これを合計したものにほかならない。

2 しかし、今回取調べられた昭和五九年一二月一四日付及び一二月一八日付の質問顛末書をみると、これが正確でないことがわかる。すなわち、まず遊技業組合の海外旅行であるが、これは昭和五七・五八年の両年のみでなく、昭和五六年にはフィリピン旅行が行なわれており、被告人守はここでも、昭和五七・五八年と同様の使途で約四、〇〇〇、〇〇〇円を負担支出している(一二月一四日付質問顛末書の問二)。同様の目的、参加者、形態で行なわれた三回の懇親旅行のうち一回のみを除外するにはそれ相応の理由が必要であるが、そのような理由は勿論ないから、昭和五六年分の四、〇〇〇、〇〇〇円を認定しなかった原判決は誤っている。なお、昭和五七年分も三、五〇〇、〇〇〇円ではなく、前記のとおり四、〇〇〇、〇〇〇円という供述が正しいのであるから、差額の五〇〇、〇〇〇円が認容されなければならないのは当然である。

3 第二に、枚方納税経友会の運営費である。被告人守は、昭和五三年から同会の会長であったが、同会が正規に会費を徴収し始めたのは昭和五八年三月以降であり、それまでは、守が年間約五、〇〇〇、〇〇〇円の経費(事務所の家賃月七万円、事務員の給料月一三万円、その他年間の事務費二六〇万円)を、会長として個人負担していた(昭和五九年一二月一八日付質問顛末書、問七、一二月一四日付質問顛末書、問四)。従って、昭和五六年、五七年は各五、〇〇〇、〇〇〇円、昭和五八年は二月分までの八六万円(五、〇〇〇、〇〇〇円の一二分の二)が守の個人事業の経費として認容されなければならない。何故なら、上記のとおり、経友会関係の接待費用がそのまま認容されている以上、家賃、人件費や事務費の性質の支出を認容しない理由は全くないからである。

4 以上の二つの経費について、原判決(訴因)の金額と、今回主張する金額とを対比してみると、次表のとおりである。

〈省略〉

このように明確な経費の性質の支出が無視された(あるいは看過された)のは、やはり「経営管理料を認めて減額してやるのだから、細かいことはどうでもいいではないか。」という妥協があったからという理由以外は考えられないではないか。

5 次に守の事業に関する寄付金がある。

(一)  守は昭和五七年二月、主取引金融機関である信用組合大阪興銀から要請され、同月二五日現金五千万円を同組合理事長平岡義夫こと李照健に拠出している。

李照健は、在阪韓国人、朝鮮人の間での最有力者で、関西地方に居住して事業を営む韓国人等は、陰に陽に同人の協力を得なければおそらく事業の経営自体が困難な関係にあり、守も従来から同組合を主取引金融機関とするとともにその理事に就任し、同組合及び李照健と緊密な関係を保ってきていた。

ところで、パチンコのような遊戯場の経営者にとってなによりも重要なことは、同業者が自己の店舗の近隣に進出し、客を奪われるような事態を防止することである。ところが周知のとおりこの業種の経営者は、大半が在日韓国人、朝鮮人であり、それはまた関西では信用組合大阪興銀、その理事長李照健を中心として結集しているグループであって、この中において在日韓国人等のために広く積極的に活動し、良好な関係を維持することが、同業者の不当な進出を防ぎ、事業を円滑に運営し、健全に発展させるために必要不可欠なものである。守が、原審の記録中の質問てん末書、検察官調書において、昭和五四年以降は自己の店の管理等を弟泰奉に任かせ切りにし、ほとんど寝屋川遊戯業組合、枚方納税経友会等の対外的活動に忙殺されていたと再三述べているのも、要するに経営者としてはこのような対外的活動が最重要であることを説明しているものに他ならない。しかし、右の供述部分において、守は特に大阪興銀や李照健の名を挙げることは意識的にしていない。それは、以下に述べるとおり、同組合の名を出せば、これに対して拠出した資金の性格や使途等の内容に触れることになり、いきおい同組合等に対する反面調査、裏付け調査が行なわれることを避けられないが、それは同組合等が最も嫌忌するところであるので、結局自己の将来の事業経営に致命的な打撃を受けることにならざるを得ないからである。

このような背景の下に、守は寝屋川遊戯業組合や枚方納税経友会以上に大阪興銀や李照健と良好かつ円滑な関係を維持することに腐心し、種々の機会に同組合等から要請される分担金、寄付金等に関しては、在日韓国人のうちの成功者として無条件にこれに応じていた。

(二) 昭和五七年二月、守は大阪興銀専務理事から五〇、〇〇〇、〇〇〇円を寄付として拠出するように要請を受け、かつこれは同組合の寝屋川支店長を窓口とするから了解してくれと依頼され、従来どおりその使途や目的を聞き訊すこともせず、これに応じ、同月二五日ころ寝屋川支店長木山健造に現金五〇、〇〇〇、〇〇〇円を交付して支払い、同人名義の預り証を受領した。

(三) 本件査察において右預り証が発見領置されてその内容について追求され、守は当初五九年九月二六日及び二八日の質問において、右のとおり答弁した。そこで査察官が、同組合の木山を取り調べたところ、案の定、同組合ではその使途を明らかにすることを好まず、これを守の新韓銀行の出資金であると説明した。当時李照健や同組合が中心となって韓国に株式会社新韓銀行という新会社を設立する準備を行なっていたことは守も承知しており、本件寄付金が何らかの形で新韓銀行の設立に関係するものではないかということは守も想像していたが、もともと寄付金として拠出を求められたものであり、守は自己や親族等の名義で株式を引き受けた訳でもなく、勿論配当も受けておらず、その後本件寄付金の使途等について一切聞かされていなかったので、「そのような事実はない。」と主張したが、前記のような背景の下で同組合等と強く対立することになれば、事業の経営自体に重大な支障を来すことは必定である上、査察官からも、「悪いようにはしないからこの際興銀のいうとおりにしたらどうか。」と言われ、同年一〇月一一日の質問において、興銀側の主張に合わせ、寄付金であるという供述を撤回し、新韓銀行の出資金であると述べるに至った。

しかし、前記のとおりこれはおよそ出資金という性質のものではなく、守の事業の維持遂行上必要止むを得ない寄付金であることが明らかであってこれを看過した原判決の処理は誤っている。

なお、守が当初内容を明確にしないまま主張していた韓国関係の支出の大半は右の寄付金に類する性質のものであってこれについては順次内容を明らかにする。

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